貞観政要 再22(皇紀弐千六百七十八年九月九日 參)

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 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治が書かれた貞観政要を紹介しています(20100225)。

 さて、初心を忘れて贅沢になった太宗に、魏徴が命がけの諫言を上申書にしたためて太宗に送りました。前回までで十の諫言を紹介しました。

 太宗はこれを読みました。太宗はどうするのでしょうか。
 この上申書が提出されるや、太宗は、魏徴を呼んで語りました。

「臣下として使える場合、君主の意向におもねるのはやさしいが、君主の気持ちに逆らうのはきわめて難しい。そなたは、私の耳目ともなり股肱ともなって、常に厳しい意見を申し述べてくれた。今また過ちを知ることができて、すぐにでも改めるつもりである。これからも心して政治に取り組みたいと願っている。この約束を破るようなことがあれば、そなたに合わせる顔もないし、天下を治める資格もないと思う。

 そなたの上申書を受け取ってから、繰り返し読んでみたが、文章も力強く、筋も通っている。そkで、屏風に書き写して朝な夕な仰ぎ見ることにし、さらに、史官に命じて記録にとどめさせることにした。これによって後世の人々がのちのちまでも、君臣の正しい関係について理解を深めてほしいと願っている」

 太宗は、魏徴に褒美を渡しました。

 なんという度量でしょうか。太宗も魏徴も・・・。今のあのくだらない中国に、かつては、こんな素晴らしい人達がいたのですね。

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このページは、宝徳 健が2018年9月12日 11:32に書いたブログ記事です。

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