つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年十二月十六日)

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 よし!大丈夫。今から年末までをこれまでにないぐらい充実させます。

世界のインテリジェンスの實態
 1657年に英國は、郵便制度を國有化しました。これは、閲覧、つまり、情報収集のためです。クリントンがインターネットを開放しました。スパイ活動のためです。

 昔、洋画を観たときに、懺悔のシーンがありました。外人と云ふのは奇妙なことをやるなあと思ひました。その疑問が最初に少し解決したのが、教會式結婚式。神父が「あなたは、〇〇を愛することを神誓ひますか?」と誰かの結婚式に招待されこのシーンを初めてみた時です。腰が抜けそうになりました。キリスト教徒は、神に誓はないと、女性を愛せないのか・・。と。人間を基本的に信じていないからなんでも神樣に相談するんだ。と(なのに、基督教徒でもないのに未だに教會式で結婚式を擧げたがる女性が多いのにびっくり)。そして、本當の懺悔の意味は・・・・。

 十三世紀の歐州。史上最強の教皇と呼ばれるインノケンチウス三世(だつたと記憶してゐます)は、懺悔を義務化しました。これなんだかわかります? 人々の情報をすべて教會が握ると云ふことです。最大のインテリジェンスですよね(爆笑)。

 先日、政教分離の本當の意味を書きましたが、これでは分離しないと政治どころではありません。
 「歌」といふ言葉の語源をご存知ですか? 昔から、神とか天とかに、人々はお願ひごとをしてきました。でも、全然、聞いてくれません。だから、神の前で踊ったり大聲で叫んだりしました。そして、訴へました。「訴へる」「うつたぶ」「うた」となりました。だから、神父に懺悔したぐらいで罪が許されるななんてことは絶對にあり得ません。神社や寺で、ながーい時間、お願いごとをして手を合はせてゐる人がたくさんゐます・・・・。もうすぐ初詣、神社や寺にお參りに行く目的は、「我が身を清めに行く」ことです。

 世界はこれほどにしてインテリジェンスをやらないと國家が危ないのです。日本人はノーテンキですね。スパイ防止法もない。明治の男たちは、國を守るため、必死にインテリジェンスを構築しました。明石元二郎のスパイ活動は、その後の世界のお手本になりました。

 軍が官僚化し、我が国を滅亡させた大東亞戰爭。例えば、ヤルタ密約緊急傳。情報士官 小野寺信は、命がけでヤルタ會談の情報をキャッチし、ソ連の對日參戰情報を大本営に流します。大本営はこれを握りつぶします。握りつぶしたのは瀬島龍三です。今やソ連のスパイと云ふことがわかつてゐます。敗戰後、伊藤忠商事、中曽根政權にまで入り込みます。ソ連に我が國の情報が筒抜けでした。軍事力が弱かつたから負けたのではありません。當時の我が帝國陸海軍は世界最強でした。江戸時代の軍事政權が基盤にある明治の政治家・軍人が、昭和の官僚になつたからです。國民がしつかりと、歴史を認識しないとまた「同じ過ち」と云ふ選択肢を、政府・官僚・メディアに提供してしまひます。


 お讀みください。

一神教の不便さ
 子供のころは、なんだか、多神教よりも一神教のはうが優秀なのかと勘違ひしてゐました。とんでもないですね。我が國は八百万の神なので、キリストひとつぐらい入って来てもビクともしません。キリスト教比率1%です。そして、我が國で(げんざい)教えらえれてゐるキリスト教はとてもきれいです(なのに1%)。一神教は不便ですね。だつてそれしか考へてはいけないんですから。ローマ帝國がキリスト教にぐちゃぐちゃにされ、歐州が暗黑の時代を何百年も經なければならなかった原因もキリスト教です。

 と思っていたら、キリスト教も派が違ふと「異端」になつてしまふのですね。キリスト教の分派は、カトリック教會主義やプロテスタントから抹殺される対象になります。我が國にキリスト教が傳來したのは、フランシスコザビエルからではありません。ネクストリウス派が、七世紀に傳來してゐます。平城京のときです。もうこの派は世の中にないのではないのかなあ。抹殺されて。「正しい歴史を知っている、それだけで殺す十分な理由になる」。歐米や支那人の基本的な考へです。

あおり運転
 ひどいですね!!! 許せない。死刑でもいい。目の前でご両親が殺されるなんて!!!!

 昔はあおり運転と云ふのは、暴走族同士とか不良同士とか出やり合ふものでした。私のことをものすごく可愛がつてくれたHさんは、元暴走族のヘッドです。どんなことをやらかしたかは詳しく聞いてゐませんが、とにかく可愛がつてくださいました。何でらろう(笑)。お元気かなあ。會ひたいなあ。二十代のころです。この方も運転していて別の車が無茶をしたら許しません。テールツーノーズを5cmぐらいでやつてのけてゐました。他にも「こんなことが車の運転でできるのか!」と思ふぐらいの腕前。
 でも、自分の氣分で、他の車を煽るなんてことは絶對にやらない方でした。少し體調が惡いと、絶對に車に乘らない。「どうしてですか?」と聞くと「他の車に迷惑がかかるから」です。昔は暴走族にもポリシーがあつたのです。

 おつと、少しだけ出かけてきます。  をはり

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このページは、宝徳 健が2018年12月16日 08:11に書いたブログ記事です。

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