源氏物語 90(皇紀弐千六百七十八年十二月二十四日 參)

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 青表紙本と河内本でどのくらい表現が違ふかのテーマに戻します。

 まずは桐壺を例に。

「繪に描ける楊貴妃の容貌(かたち)は、いみじき(腕の良い)繪師と雖(いへど)も、筆限りありければ、いと匂日少なし。太液(たいえき)の芙蓉、未央(びあう)の柳も、げに通ひたりし(楊貴妃の)容貌を、唐(
から)のいたる装ひは麗はしうこそありけめ、(桐壺の更衣)懐かしう臈(らう)たげなりしを(帝が)思(おぼ)し出づるに、(桐壺の更衣は)花鳥の色にも音にも比(よそ)ふべき方なき(實際には源氏物語は平假名ばかりですが、わかりやすいやうに)」。

 意味は、「芙蓉(=蓮の花)や柳に喩えることのできる楊貴妃の美貌は二流である。それに對して、美しい花の色にも喩えられない美貌と、美しい鳥の聲にも喩えられない美聲を持つてゐた桐壺更衣の美しさは一流である」です。

 さて、これが河内本になるとどうでせうか。次囘ね。

 さあ、物語は、いよいよ明石の君に近づいてきます。

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このページは、宝徳 健が2018年12月24日 07:17に書いたブログ記事です。

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