19番目のカルテ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月十六日 水曜日

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,270通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

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  これも元々、漫画が原作です。我が国は脚本家が育たなくなりましたね。漫画を原作とした医療ドラマは、たくさんあります。「神様のカルテ」も面白かった。我が国には社会保険制度があります。それに基づいて医療制度があります。なので、どうしても多くおの医師は上を向いて仕事をしてしまいます。また、病院では、収入源の多くが診療報酬から得ていますので、病院経営はどうしてもそれに縛られることになります。その余波は医療にもきます。看護師基準、病床回転率、入院日数等々です。その基準等を満たさないと病院は儲からないので、人を見るより病気を見るようになり、病気を見るより金を見るようになります。またが大学医学部が独立法人化したたまに、大学医学部・医師会・厚生労働省の三すくみができてしまいました。それが今の医療業界を大きく歪めています。診療についても診療報酬が加点性なので、検査が多く、また、専門科が、増えてきました。病院のコンサルをしていた時のことです。夜間に急患が来ました。ある医師に診察を頼むと「専門外だから」を断られました。風邪ですよ!!!診察も検査の結果をパソコンを見ながら説明してくれます。聴診器や打診などはほとんどなくなりました。私たちは、病気を見てもらいたいから医者に来ているのに、検査結果を見ながら説明を受けます。その検査機器等も他業者では考えられないぐらい高額です。

  では、どうするか? 社会保険は、我が国の財政面から見ても国家財政の大きな部分を占めています是税金負担が増えてしまいます。それに社会保険を無くしてしまうと、国民の医療費負担が約7割増になってしまいます。病気になっても病院やクリニックに行けなくなります。

  社会保険制度がなかった江戸時代はどうだったのでしょう?  大学医学部も厚生労働省のありません。医学館や医学書という利権団体らしきものはありましたが。医師免許制度もありませんでした。医学部は「適塾」とか「◯◯流」とかで勉強しました。医師に見てもらうには大きなお金が必要になり、大きな病気にかかった庶民はほとんど医者に見せずに亡くなっていきました。
  では、私たちが子共の頃はどうだったか。よほど大きなには重い病気(入院が必要)にならないと行きませんでした。診療所(今のクリニック)にいくか、往診に来てもらっていました。子供を産むときも病院は高いので、お産婆さん(助産婦)にお願いしていました。あとは、家庭での経験にもとづいた治療です(◯◯の草はこれに効くとか)。

  どうすればいいのだろう。大学医学部は最先端の医療を欲しがります。独立法人化した大学病院は、ジッツ(人事)を握っていうるので、教授は優秀な若い医師を離したくありません。地方病院は非常勤医師だらけになります。

 厚生労働省は官僚ですから、国民なんて見ていません。国民は安く医療が受けられるからいいだろうという感じです。

 医師会は、医師の生活を守ることで利権化します。

  これでは早晩、医療制度は崩壊します。今日はこの問題がテーマではないので問題提起だけにしておきます。

  なぜ、19番目のカルテは、18の専門の科がある経営が苦しい病院(病院は大抵苦しい)に「総合診療科」ができます。なので、19番目の診療科なので、そういう名前がつきました。診療がつかない患者さんを総合的に診断して病名を特定するという科です。

  担当の医師がヒアリングというよりも、リスニングを徹底的にやります。病気に関係のないことも含めて。それまで専門科に細分化され診断が上手くできない若い女性医師が悩んで、その総合診療科で医師として成長していく物語です。

  松本潤さんがよいキャラクターを出しています。そして、大好きな、小芝風花さん、ファースト・サマー・ウィかさん、生瀬勝久さん・・・。みなさん、良い味を出しています。

 ドラマを見ているだけではなく、松本潤さんのアスキングスキルが抜群に上手なのです。私たちコンサルタントはときどき自分の意見を押し付けてしまうことがあります。これは行けませんね。このドラマを観ながら、それを感じて、アスキングスキルを磨いています。

口はひとつ 耳は二つの 人間は しゃべるばいを 聴くに注力

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このページは、宝徳 健が2025年7月16日 02:05に書いたブログ記事です。

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