未来日本昔話:再掲25(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月十三日 日曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,259通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
  (すみません、このURLのアドレスを長い間書きましが得ていました。修正しました)

かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

  かつての悪夢の民主党政権で日本が潰れてしまったと言う前提です。このまま石破政権でいけば日本もそうなりそうです。

  平成二十二年(2010年)一月十一日に書いた記事です。修正を加えず当時の記事そのままを書きます。

 政党助成金をご存知ですか?国が政党に政治活動のお金を渡すものです。根拠法は政党助成法です。政党助成法では解党時に残金がある場合は、国に返還することを想定しています。また総務大臣が返還要求をしたら返さなくてはなりません。ですから、実質上強制ではないとういザル法です。政治家の良心を期待しての。
 この良心を裏切ってくれたのが民主党幹事長の小沢一郎です。小沢が党首だった自由党は平成15年に民主党との合併に伴って解党しました。その時、政党助成金約5億6千万円を含む党資金15億5千万円の大半を小沢の関係政治団体に寄付した形で移しました。
 そのまえの新生党のときも、平成6年の新進党への移行時に、残金の大半の約9億2千万円を小沢の政治団体に移しました。このときは約5億円が政党助成金同様、国から交付された立法事務費でした。なんじゃいこりゃ。「国民、国民」と、国民の耳には心地よい言葉を連発しながら、お母さんからお金を貰って脱税してもそんなに悪いとは思っていない首相はいるや、税金を懐にいれてしまう幹事長はいるや。ほんとうにこんな政党が政権政党でいいのかな?!

 さて、時は西暦2100年。20××年に日本の国は潰れてしまいました。おばあちゃんと、まさる君(10歳)の会話です。今日も武士道の続きです。
「おばあちゃん、今日は、武士道の精神はかつての日本では女性にもあったというところからだね」
「そうだったね。まさる『女性にもあった』のではなく、『かつての日本女性がもっとも武士道の具現者だった』んだよ」
「そうなの? 武士道って大人の男のことじゃないの?」

「杉本えつ子という『武士の娘』という本を書いた人は祖母から『武士の生涯は、男も女も関係ない。武士の躾を受けた人は、来るべきどのようなことにも処していける』と教わったの。今で言う男女平等なんていうバカバカしいものではないのだよ。でも、今の人は、当事の女性は、ひたすら男性に従属していたという人が多いだろう?」

「うん、男尊女卑だね」

「ばかばかしいね。特に戦後核家族化が進んでしまって、女性が家庭というところのなかでとてもわがままになってしまったんだよ。それに戦後の誤った教育が重なって、女性は、自分達の言うことばかりを主張することになったんだ。それで、家庭の崩壊が進み、また、男性も情けなくなって、これも、日本が潰れてしまった大きな原因なんだよ。」

「うちも核家族で、お母さんの権限がとっても強いよ」

「(笑)、女性が持つものはね、権限ではなくて尊厳なんだよ。武士道は『公の心』だったよね。『上に立つ者に対する配慮と責任』だったよね。そういう意味でいうと『女は一度嫁したら夫はもちろん家族全体の幸福に責任を持つ』ということなの。これが女の武士道だよ。中国の古典の大学というのにね、『其の国を治めんと欲する者は、先ずその家を齋(ととの)う』という言葉があるんだ。だから、かつての日本女性は国を治めるために家を幸せにするという、ものすごく重要な役割を担っていたの。それが核家族になって、特に夫の父母等の親族と接した嫁とそうでない嫁では、家庭の作り方が全然違ったんだよ。」

「素晴らしいね。でも、女性はしんどい役割だったんだね」
「だから、みんなからの尊敬を集めたんだ。自分を殺して殺して人の為に自分の力を使う。まさにかつての日本の女性が武士道そのものだったんだよ。昔はね孫は『おばあちゃんの家』とは言っても『おじいちゃんの家』とは言わなかったぐらい、年を重ねるとともに女性は尊敬されたものさ。戦争で死んでいった人たちも母を案じて逝ったんだよ。それが、尊厳というもの。その行動が自然と尊敬される存在になっていったんだ。昔の女性は、子供からすれば、いつ寝ていつ起きたのかわからないぐらい、働いていたそうだよ」
「えー、僕のお母さんは、よく寝てるよ」

「それは、お母さんには言っちゃだめだよ。そういう教育を受けていないんだから。今の女性がどうのこうのじゃなくて、武士道と女性ってことを話しているんだからね」

「そっか、じゃあ、日本の国は女性が支えていたんだね」

「そう、妙な男女平等なんて思想が出てくる前まではね。男と女は選挙権などの『公平』な権利は大切だけど、平等ではないということは当たり前のことなんだけどね。こういう話になってくるとがぜん張り切るのが左翼政権さ。まあ、今日は、かつての日本の女性は素晴らしかった。あの素晴らしい日本を作っていたのは女性だったということを覚えておいてね」

「うん。女性って素晴らしい。おばあちゃんも素晴らしい」
「ありがとうよ(笑)、さあ、おやつにしよう。今日はね、島根県松江市の『若草』って言うお菓子だよ。食べてご覧」
「うん・・・・・・ おいしいな~。」
「でしょ。江戸時代に松平不昧(ふまい)侯というお殿様が好きだったお菓子だよ。松江市は日本の素晴らしいものがたくさん残っているから大きくなったら旅をするといいよ」
「うん。おばあちゃん、ありがとう」

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年7月13日 01:18に書いたブログ記事です。

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