マインドフルネスとたいの病気(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月十二日 土曜日)

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,267通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
  (すみません、このURLのアドレスを長い間書き間違えていました。修正しました

 今日は「たい」の病気ですね。私は今でもこの病気に時々罹ってしまいます。

 東井義雄先生という教育会の至宝と呼ばれた方がいらっしゃいました。但馬地方(現在の兵庫県豊岡)出身の方です。先生が教壇に立ったのは主に小学校で、特に僻地の分校などで教育実践を行いました。先生の教育は、単に知識を教え込むだけでなく、子どもの内面的な成長や人間性の育成に重きを置きました。数々の素晴らしい著書も上梓されています。

 東井先生が上梓されたある本の中で「たいの病気」をいうのを書いています。「遊びたい」「ゲームがしたい」「テレビがみたい」などなどを「たいの病気」と呼ぶそです。するなということではなく、その前にやることをやりなさいです。

  「たい」はやり始めると限度がなくなり、自分が本来忘やることを忘れてしまいます。

 私も以前に比べたらずいぶん減ってきましたが、若い頃はいろいろな「たい」があったので、優先順が狂ってきます。極端な話リーティンをやるのも面倒だなあと思いながら、自分の「たい」に負けていました。

 我が日本は、精神は豊かでも、裕福な国ではありませんでした。江戸時代に日本に来た欧米の人間はそれでも笑っている人たちを見てびっくりしていました。そして、将軍なのに質素な着物を着ている姿を見て。

 子供の頃の日本も貧しかったのですが、家族はいつも笑っていました。男女の分別もありました。今の世の中はという声をよく聞きますが、この令和の時代を今の世の中はというのなら昭和の方がはるかに素敵でした。それぞれが少しずつ我慢しながら奪い合うのではなく分け合う世の中だったから。

 アメリカの逸話です。姉妹がいました。ある時ケーキが一つしかありませんでした。お姉ちゃんが一人で食べました。褒められました。

 日本では、お姉ちゃんは妹に分けますよね。でも、アメリカでそれをすると「権利の放棄」となり非難されるのです。つまり、奪い合って足りなくなる世界です。

 今の日本は奪い合って足りなくなる社会です。最終的にどちらが笑っている生活になるでしょうか?

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このページは、宝徳 健が2025年7月12日 02:53に書いたブログ記事です。

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