金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです。
 私はその事件を通じて、一擧にあらゆるものに直面した。人生に、官能に、裏切りに、憎しみと愛に、あらゆるものに。さうしてその中にひそんでいる崇高な要素を、私の記憶は、好んで否定し、看過した。

 叔父の家から二軒隔てた家に、美しい娘がゐた。有爲子といふ名である。目が大きく澄んでゐる。家が物持のせゐもあるのだが、權柄(けんぺい)づくな態度をとる。みんなにちやほやされるにもかかはらず、一人ぼつちで何を考えてゐrのかわからないところがあつた。嫉み深い女は、有爲子がおそらくまだ處女であるのに、ああいふ人相こそ石女(うまずめ)だなどと噂した。

 有爲子は女學校を出たばかりで、舞鶴海軍病院の特志看護婦になつた。びゅおインへは自轉車で通過できる距離である。しかし朝の出金は夜のしらじら明けに家を出るので、私達の登校時間よりも弐時間あまり早い。

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このページは、宝徳 健が2014年7月30日 05:59に書いたブログ記事です。

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