百人一首 七十六

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わたの原 漕ぎ出でてみれが 久方の 雲居にまがふ 沖つしらなみ

 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)の歌です。
 
 藤原忠道のことです。娘を皇室に嫁がせて陰の權力者として摂関政治を行つてゐた藤原一族の長です。
 でも、忠道の頃は、平安時代でもドロドロの頃です。鳥羽上皇と崇徳院が爭つてゐました。それがそのまま崇徳院と後白河天皇の爭ひにつながつていきます。興味があるからは平成二十一年二月二十七日から五回に分けてこのブログに書いた短編小説「魚は頭から腐る」を月別アーカイブから拾つてお讀みください。

 崇徳上皇の呪いは今でも皇室で恐れられてゐます。

 この歌は、保元の乱では敵方となる崇徳上皇に前で詠んだものです。

 わた原=大海原です。空は青く晴れ渡り、多くの沖に目をやれば、水平線あたりで空の雲と見間違ふばかりに白波がたつてゐる。その雄大な叙景歌は、苦しい時代とはいつてもさすげに政界でトップになつた人間の歌です。雄大な歌です。

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このページは、宝徳 健が2014年7月10日 07:27に書いたブログ記事です。

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