金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 最近、こいつら支那のスパイ?と思ふやうな、似非保守がたくさんゐます。〇〇〇〇動画なんかもさうですね。尖閣に自ら乘り込んでワーワー云つて何になるのでせうか?支那の思うツボです。

 味方とみせかけておいて實は・・・。支那がよくやる手法です。

 それに比べて(と云つたら三島由紀夫に失礼ですが)、三島由紀夫は、眞正保守です。とにかく格好良い。昔は、かういふ硬派のことを「男らしい」と云つてゐました。今は・・・。軟弱な男がよいさうです。

 大和魂はどこに行つた。

 まあいいや。金閣寺のつづきです。
 吃りが、最初の音を發するにために焦りにあせつてゐるあひだ、彼は内界の濃密な黐(もち:ねばねばした植物からとられる粘着性の物質)から身を引き離さうとじたばたしてゐる。やつと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現實は、私がじたばたしてゐるあひだ、手を休めて待つてくれてゐるやうに思はれる場合もある。しかし待つてゐてくれる現實はもう新鮮な現實ではない。私が手間をかけてやつと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に變色し、ずれてしまつた、・・・・・さうしてそれだけが私にふさはしく思はれる、鮮度の落ちた現實、半ば腐臭を放つ現實が、横たはつてゐるばかりであつた。

 かういふ少年は、たやすく想像されるやうに、二種類の相反した權力意志を抱くやうになる。私は歴史における暴君の記述が好きであつた。吃りで、無口な暴君で私があれば、家來どもは私の顔色をうかがつて、ひねもすおびえて暮らすことになるであらう。私は明確な、辷り(すべり)のよい言葉で、私の殘虐を正常化する必要なんかないのだ。私の無言だけが、あらゆる殘虐を正當化するのだ。かうして日頃私をさげすむ敎師や學友を、片つぱしから處刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面世界の王者、靜かな定觀にみちた大藝術家になる空想をもたのしんだ。外見こそ貧しかつたが、私の内界は誰よりも、かうして富んだ。何か拭ひがたい負(ひ)け目を持つた少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考へるのは、當然ではあるまいか。この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待つてゐるやうな氣がしてゐた。

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このページは、宝徳 健が2014年7月13日 05:16に書いたブログ記事です。

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