金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 三島文學はいいですね~。三島由紀夫、川端康成、谷崎純一郎は最高です。

 三島由紀夫は本文中では「金閣」と正しい表現をしてゐます。なのになぜ、タイトルが「金閣寺」なのだらうか? 鹿苑寺金閣が正解で、金閣寺ではありません。疑問を持ち続け、三島由紀夫を研究していきます。

では、昨日のつづきです。

 五月の夕方など、學校からかへつて、叔父の家の二階の勉部屋から、むかうの小山を見る。若葉の山腹が西日を受けて、野の只中に金屏風を建てたやうに見える。それを見ると私は、金閣を想像した。

 寫眞(写真)や教科書で、現實の金閣をたびたび見ながら、私の心の中では、父の語つた金閣の幻のはうが勝を制した。父は決して現實の金閣が金色(こんじき)にかがやいてゐるなどと語らなかつた筈だが、父によれば金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣といふその字面(じづら)、その音韻から、私の心が描きだした金閣は、途方もないものであつた。

 遠い田の面(も)が日にきらめいてゐるのを見たりすれば、それを見えざる金閣の東映だと思つた。福井縣とこちら京都府の國堺をなす吉坂峠は、丁度眞東に當つてゐる。その峠あたりから日が昇る。現實の京都と反對の邦楽であるのに、私は山あひの朝陽の中から、金閣が朝空へ聳えてゐるのを見た。

 かういふ風に、金閣はいたるところに現はれ、しかもそれが現實に見えない點では、この土地における海と似てゐた。舞鶴灣は志樂村の西方一里半に位置してゐたが、海は山に遮られて見えなかつた。しかしこの土地には、いつも海の豫感(よかん)がやうなものが漂つてゐた。風にも時折海の匂ひが嗅がれ、海が時化ると、澤山の鷗(かもめ)がのがれてきて、そこらの田に下りた。

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このページは、宝徳 健が2014年7月 7日 06:42に書いたブログ記事です。

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