金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 なんとはない文章のやうにみえるのですが、でも、惹きこまれる。さすが不朽の名作家、三島由紀夫です。不幸にもあのやうな事件で亡くなりましたが、國を思ふ氣持ちと文學的才能は他の追随を許しません。では、つづきです。

 この「よう」と「やう」の使い分けがまだわからない・・・。
 ・・・・・右のやうな記述から、私を詩人肌の少年だと速斷する人もいるだらう。しかし今日まで、詩はおろか、手記のやうなものさへ書いたことがない。人に劣つてゐる能力を、他の能力で補填して、それで以て人に抜きん出ようなどといふ衝動が、私には缺けてゐたのである。別の言ひ方をすれば、私は、藝術家たるには傲慢すぎた。暴君や大藝術家たらんとする夢は夢のままで、實際に著手して、何かをやり遂げようといふ氣持がまるでなかつた。

 人に理解されないといふことが唯一の矜りになつてゐたから、ものごとを理解させようとする、表現の衝動に見舞はれなかつた。人の目に見えるやうなものは、自分には宿命的に與へられないのだと思つた。孤獨はどんどん肥つた、まるで豚のやうに。

 突然私の囘想は、われわれの村で起こつた悲劇的な事件に行き當る。この事件には實際は何一つ與(あづか)つてゐる筈もない私であるのに、それでもなほ、私が關與し、參加したといふ確かな感じが消えないのである。

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このページは、宝徳 健が2014年7月28日 07:39に書いたブログ記事です。

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