目が見えることの素晴らしさ

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  市販はされていませんが 東井 義雄先生の講演録をまとめた本で「バカにはなるまい」という本があります。読んでいて自分の情けなさが感じられる素晴らしいものです。その中で、身障者の方々が素晴らしく生きているシーンが何度も書かれています。
  私達は、目が見えます。耳も聞こえます。口で言葉をしゃべることが出来ます。手足も動きます。でも、それをありがたいと思っているでしょうか?目が 見えない方は、「美しい山が見たい」「美しい川が見たい」「美しい海が見たい」「愛する人の顔が見たい」と感じています。でも、私達は、人のアラや悪いこ とばかりを見ます。耳が聞こえない方は「美しい音楽を聴きたい」「愛する人の声が聴きたい」と考えています。私達の耳は誹謗中傷が聞こえてきます。他人の 不幸を喜びます。言葉をしゃべれない方は、一生懸命自分の思いを伝えたいと考えます。私たちの口から出る言葉は、文句や不平不満です。手足が動かない人 は、一人でトイレに行けたらどんなに素晴らしいことだろうかと考えます。私達は自由な手足を使って悪い行いをします。

 経営をサポートしていても。競合他社の責任にしたり、部下や上司を批判・非難してみたり、商品やシステムの責任にしてみたりするケースに多々出く わします。その状態では、決して人間も経営も強くなりません。自分以外のことに不平不満を言う前に、自分は、精一杯この自由に使える五体を使って努力して いるでしょうか(自分自身に言い聞かせています)。どんな素晴らしい経営技術を持っていても、人間が人間として生きて成長していないものは事業とは呼びま せん。裕福な時代に育った私達はそのことを忘れてしまっています。

 美しいものを見て、美しいものを聴いて、きれいな言葉を話して、手足を使ってよいことをする。このような正しいことができる心が欲しいなぁと、この本を読んでいて思いました。自分が恥ずかしくなりました。

 息子の小学校の卒業式のことです。身障者の方もその卒業式に来ていました。お母さんが付き添っていらっしゃいました。お母さんは泣いていらっしゃ いました。恥ずかしいことに、最初は「かわいそうだなぁ。自分の子供が健康でよかった」と自分勝手なことを考えていました。でも、次の瞬間、自分が惨めに なりました。「この人たちは、ほんとうに精一杯生きている。自分達なんかよりも何百倍も素晴らしい人生を生きている。自分はなんとバカなんだろう。なんで もっと精一杯生きないんだろう」と考え、涙があふれて止まりませんでした。そのお母さんの涙を私はこのままでは一生流すことが出来ません。

 最後に、「バカにはなるまい」で紹介されていた手足が動かない17歳の女の子の詩と脳性まひの17歳の女の子の詩を紹介しておきます。


【ひとつの願い】
お便所に一人でいけるようになりたいのです
それが私の願いです
たった一つの願いです
神様、神様がいらっしゃるなら
私の願いを聞いてください
あるけないこと
口が聞けないこともがまんします
たった一つ お便所に
一人で
一人で行けるようになりたいのです
お願いします

【十七歳のオルゴール】
こんな子に生まれて
よかったんですか お母さん
こんな子でも
愛してくれますか お父さん
あなたがたの家をこわしてしまった私
心の中で泣いているでしょうね
ごめんなさい

私はいま明るく生きています
それが親孝行だと思ってもいいですか
お父さん お母さん
それ以外何もできません
ゆるしてくださいね

なんでこんな子生んだのかと
お母さんを責めたわたし
ほんとうは
私が責められないといけないのにね

お母さん
あなたは普通の子と同じように
おなかを痛めて
わたしを生んでくれた
その期待にこたえられなくて
ごめんなさい

私は悲しみに出合った
それらはみんなわたしにとって
生きる喜びにつながった
生まれてきてよかった
生んでくれてありがとう

この世って
すばらしいところですね
お母さん


(所感)
自分が恥ずかしくなります。

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このページは、宝徳 健が2006年4月27日 17:15に書いたブログ記事です。

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