どの本よりもわかりやすい古事記

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   さて、古事記の掲載もあと2回となります。古事記には神代と人代がありますが、今回は、神代で終了します。人代も面白いので、いずれ書きたいと思います。
   大きな鳥、ヤタガラスの案内で、神武天皇は一族を引き連れて熊野の山の中を進みました。途中に大きな河が流れていました。国つ神に、河の名前をたず ねると「吉野川」と答えました。途中、いろいろな国つ神に出会い、奈良県宇陀郡にやってきました。

 ここにはエウカシとオトウカシという兄弟が住んでいました。なかなかの勢力です。神武天皇は、ヤタガラスを派遣して、様子をうかがわせました。ヤ タガラス「天つ神がいらっしゃった。汝らは仕える気があるか」 
 そんな気はないエウカシはヤタガラスに向かって、矢を放ちます。ヤタガラスは帰って神武天皇に報告します。「あまり歓迎している様子はありません」

 その頃、エウカシは神武天皇を迎え撃つために兵を集めていました。でも、あまり人数が集まりません。そこで、服従するように見せかけ、おびきよせ て神武天皇をやっつける作戦に切り替えます。宮殿を設けて、そこに仕掛けをして、踏むとバネがはじけて板にうたれて圧死するものです。

 しかし、しかし、なんと、弟のオトウカシが裏切ったのです。神武天皇のところに来て、作戦を全部ばらしてしまいました。そこで、神武天皇は部下を 派遣して、逆にエウカシを自分のつくったわなに追い込んで押しつぶしてしまいました。だから、このあたりを今の奈良県宇陀郡の血原といいます。

 そこを征服し、次に進んでいくと、野蛮人の八十建(やそたける)が住んでいる土地に来ました。これは、ことごとく切り殺してしまいました。

 そうやって、山土地方を征服した神武天皇は、今の奈良県にある柏原(もっと難しい字ですが)神宮で政務をとるようになったのです。日本最初の皇居 です。

 では、最終回をお楽しみに。

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このページは、宝徳 健が2006年6月 3日 23:11に書いたブログ記事です。

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