つくづく感じること

| コメント(0) | トラックバック(0)
   最近、何年かに一度の自分の鍛えなおしを行っています。考え方、行動の仕方、人との接し方、感謝の念・・・。わかって入るのですが、現実に身を置いたときに、生きる真理を実行できない自分をもどかしく思っています。
 わかるとできるの違い。人間の魂を磨いていくこと。ほんとうに実現したいことだらけです。ところが、今日や明日の売上高が気になって、それを忘れてしまったり、自分の欲がでてしまって、そちらを優先してしまったり。ほんとうに「ほとんどの人間が環境を変えたいと願っているが、ほとんどの人間が自分を変えることを忘れてしまっている」ということは真理だと考えています。自分しかいじれませんものね。
  

思想家・実業家・スポーツ選手等々、すばらしい成功(地位や名誉だけではない)を納めた人は、みな同じようなことを言っています。人一倍の苦労をしてきたのでしょう。

 ある人に言わせると、人間は、大病をするか投獄を経験するかなど、ぎりぎりのところに追い詰められないとほんとうに魂を磨こうとしないものだそうです。できればそのような経験はしたくありませんが、それほど、現状を変えることができない動物だということでしょう。人を変えようとはしますが。

 しかしながら、瞑想という方法がそれらのつらい経験をしなくても、自らの魂も磨くことができるそうです。最近、はじめてみたのですが、これがまた毎日出来ない。なんと凡人なのだろうかと感じながら、それでもあきらめずに実行しようとしています。

 一片の疑いもいだかずに。「それってほんとうにうまくいくのだろうか」っと疑った瞬間に絶対にうまくいかない。コンサル現場でも、この質問をする人は、ほぼ間違いなく成長しません。

 さあ、今日も修行・修行。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/1305

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2006年7月 7日 06:42に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「人生の不幸の原因」です。

次のブログ記事は「七夕」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。