経営者必見!六韜三略:武韜

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  今日は、文啓篇です。政治の理想を述べています。
 軍事行動に乗り出すためには(経営で言うと、マーケティングを大々的に行うには)、まず国内の政治を整えること(マネジメントをしっかりとやる)こと が先決だと、太公望は説きます。そのテーマは「無為にして化す」のが理想ということ。上に立つ者ができるだけ指示や禁令のたぐいを少なくしながら、それで いておのずから教化が行きわたる。そんな政治を意味しています。老子の思想ですね。そういえば、老子最近書いていないなぁ。また書こっと。
  老子の言葉に「大国を治むるは小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとし」という有名なものがあり ます。小鮮とは小魚。小魚は煮るとき、やたら突っついたりかき回したりすると形がくずれます。味も落ちます。時間をかけてそろりそろり、と煮るのがコツで す。国を治める要領と同じです。上からの干渉をなくして民間の活力に任せたほうがうまくいきますよということ。
 でも、そのためにも、民間が学習しなければなりません。学習しない民間を衆愚といいます。教育の重要性が感じられます。今の日本の学校教育の「暗記」ではなく。

文王(以下、文)「聖人はどんな姿勢で政治に臨むのであろうか」
太公望(以下、太)「聖人は、焦ることもないし、こだわることもありません。それでいて万物はおのずから所を得るのです。焦ったり、こだわったりしなくて も、万物はみな集まってくるのです。政治の恩恵を受けていても、人民はそれに気づきません。それはあたかも四季の移り変わりに気づかないのと同じようなも のです。聖人は、このようなやり方で万物を感化し、終わってはまた始まるといった具体に循環して窮まることがありません。
 焦らずゆっくりとこの道を追求し、それを体得しても、いったんは深く内に隠し、その上で実行に移すのです。そして、成果をあげても、ひけらかすことがあ りません。天地は、万物を生育しても、その功績を鼻にかけません。だから、いつまでも存在し続けるのです。それと同じように、聖人も功績をひけらかしませ んから、かえって人びとから称えられるのです。

 むかしの聖人は、人を集めて家とし、家を集めて国とし、国を集めて天下とし、それを分割して賢者に与え、諸侯の制度を定めました。これを"大紀 (国の大綱)"といいます。また、政治や教育に力を入れ、その土地の風俗に従って改革を進めましたので、邪悪な人間も正道に立ち返り、顔つきまで一変させ ました。国と国との往来はなくても、人びとはそれぞれの土地に自足し、目の上の人間をうやまうようになったのです。これを"大定(大いなる安定)"といい ます。

 聖人は人びとの生活をかき乱さないようにつとめ、賢者はそれを正そうとつとめます。ところが愚者は正すことができないばかりか、かえって争いを引 き起こします。上に立つ者があれもこれもと欲張ると、刑罰が繁多になって、人民の苦しみやいや増すばかり。そうなると、土地を逃げ出す者が続出し、いつま でたっても生活が安定しません。これを"大失(おおいなる失政)"といいます。

 人心は河の流れのようなもの。せきとめれば止まり、水門を開ければ流れ、かき乱さなければ清く澄みます。その霊妙なこと、容易に計り知ることのできないものがありますが、成人だけは初めを見ただけで終わりまで推し量ることができるのです」

文「人民の生活をかき乱さないためには、どうすればよいか」

太「天は一定の法則に則って運行しており、人民もその法則に従って生活しています。ですから君主もまたその法則に則って治めれば天下は自ずから安ら かになります。これが最高の政治ですが、人民を教化して従わせることです。天は無為でありながらすばらしい成果を収め、人民は与えられなくても自ずから豊 かになるのです。このような無為のあり方こそ成人の徳にほかなりません」

文「そなたの語ったことは、私がかねてから思っていたことと同じである。これを日夜心に刻んで、政治にあたりたい」

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このページは、宝徳 健が2007年3月 1日 05:34に書いたブログ記事です。

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