親父紀行

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   今回は、黒部から富山へ。いつ行ったのか知らないのが残念。まったく笑わせる親父です。

立山・黒部アルペンルート、トロッコ電車
 今日はバス旅行。常盤道(高速道路-自動車道を「道」と略)-外環道(外環状道路)-関越道(藤岡ジャンクション-JCT)-上信越道(上越JCT)-北陸道と走る。
北陸自道は日本海を右に見て走る(当たり前だ)。子不知トンネルを潜ると"親不知海岸高架橋"ここは「親不知」-急峻な断崖が海に迫り、通行するときに波にさらわれる危うさがあり、親も子も己のことのみ考えて通ったという「北陸街道」の難所だ。土木技術の発達した現代でも北陸道は陸地に道路を造ることがむつかしく、トンネルになっているが、ここは親不知の景勝地なのでトンネルにせず"海の上を走る高速道路"となっている。
親不知トンネル-市振トンネルとトンネルばかりの道を抜けると新潟県から富山県に入り、下新川郡朝日町。なにかを思い出しませんか-扇谷節子さん(小学校の同級生)がここに住む。境トンネルを潜ると宮崎・境海岸(日本の渚百選)、扇谷さんの住所は朝日町宮崎だ。JRは越中宮崎駅。北陸自動車はこの区間の難工事(トンネルや親不知海岸高架道)のため、朝日町から新潟県側への道(いま走ってきた道)は長い間ストップしていた。
黒部ICで降りて、富山地方鉄道・朝日宇奈月線の終点の温泉地「宇奈月町」に入る。宇奈月は黒部峡谷の基地で「黒部峡谷鉄道=トロッコ電車」の出発点だ。黒部はどしゃ降りの雨だった。トロッコ電車は黒部峡谷に沿って走り、「欅平」の間を往復180分の道のりだが、この日は崖崩れで途中の「出し平」から引き返したので半分の90分になった。トロッコ電車は屋根はあるが囲いはない、ボクはちゃんと防水の服を着た完全武装で濡れるのを防ぐことができた。
もともとトロッコ電車は、関西電力の黒部川電源開発工事とともに歩み、工事の人員・機材の運搬をするためのものだったが、一般の人がどうしても乗せてくれというときは、『便乗の安全については一切保證致しません』と書いた「便乗證」が発行されていて、これが「黒部川電気記念館」(入場無料)に展示されていた。
人跡未踏の秘境に黒部第四発電所(クロヨン)を建設し、黒部川水系の電源開発(ダム)を造っていくことは、関西電力社長・大田垣士郎の決断によってなされた。当時ボクは大阪に居たので、この偉大なる経営者・大田垣社長のことはすごい人だなと思っていた。
自然の景観を損なわずにダムを造るという発想は、クロヨンが地下発電所であること、機材を運ぶのにトンネルを掘っていたことなどの、自然を残して工事を完成させたその全貌がこの記念館で知ることができる。
黒部ICからまた北陸道-雨はあがった。「魚津(市)」あたりを通るとき、山手にみごとな虹を見た。翌日の新聞は、朝日町ではこの日竜巻があったことを報じていた。「滑川(市)」を過ぎると富山(市)。富山湾といえば蜃気楼。能登半島が蜃気楼のように海に浮いた。ホタルイカもここだ。富山マンテンホテル泊。マンテンはマウンテンのことかと尋ねたら、満点と山をなぞったのだそうだ。
ボクが泊りの旅行をしないのは、一人部屋の条件が皆無に近いからだ。温泉地で「一人」というと絶対に断られる。娘は「誰とでもすぐに打ち解けるから...」とボクの性格を言い当てて相部屋の旅行を勧めるが、内気なボクはなんとなく臆するところがあるのだ。この旅は一人部屋が割り当てられたので参加した。十七夜のお月さんがきれいだった。
翌朝の出発は7時20分(食事は6時20分)だったが、それまでの1時間ほど富山市内を散策して、同行の人たちに『富山市のことは何でも聞いて...』とえらそうに言った。富山市は路面電車が走るきれいな街だった。富山城もある。お隣は「新湊市」だ。
立山黒部アルペンルート(立山有料道路)に入る前に「称名の滝」を見る。昨日黒部で土砂崩れがありトロッコ電車が動かなくなったが、今日も土砂崩れで滝まで行けなくなりました。75歳のおじいさん(ボク)は山越えで滝まで行くと歩きかけたら、5人ほど若者がついてきた。猿も通らないような崖(岩)道を登り、落差350m(日本一)の称名の滝を目の前に見てきた。こういう道は降りるときのほうが怖いのだが、なにしろボクはにわかリーダーだから、その気ぶりはみせられない。
「立山有料道路」―今日は日本晴。驚くな、15Kmで―料金は5万4百円。七曲り八曲りしてバスは立山を目指す。標高―2,000mを過ぎる頃から黄・紅の紅葉が素晴らしく、紅葉に緑が混じり、思わず「オッ」「オ~」「きれい...」と声が出そうになる。この時季もみじを見るとは思っていなかったので、思い掛けない感動があった。
昨日立山には初雪が降った(富士山も)。阿蘇五岳を「阿蘇山」というように、立山という山もなく、3千メートル級の立山連峰の主峰の「大汝山(3015)」を「立山」と言っている。ここは北アルプス。バスは「室堂(2450)」まで。着いたとたんに、雪の壁が20mもの高さに達するといわれる「雪の大谷」に驚かされる。
今日の気温5℃。目の前が大汝山(立山)。右隣の雄山(立山―3003)とともに、ここから徒歩2時間で頂上に達することができるのだそうだ。絶好の快晴なので山の上で弁当を食べることにした。じっとしていると寒さを感じる。
「みくりが池」-北アルプスで最も美しいといわれる山上湖。「立山玉殿の湧水」-PTボトルに入れている人が多い。「立山室堂」-享保11年(1726)に造られた日本最古の山小屋で重要文化財。室は宿泊所、堂は御堂(宗教施設)を意味する。
「玉殿岩屋」-山陵の斜面にはカール(圏谷)が多く、祠状になり、行者たちの宿舎だったという。これら、どこへ行くにも上り下りの道。「植生復元」の看板が至るところにある。ハイカーが踏み荒らして植物が枯れてしまったので、種を蒔き風に飛ばされないようにむしろで覆って復元させているのだそうだ。いたるところに「弁当を捨てるな」「ゴミを捨てるな」との注意書きがある。ハイカーにはだらしない奴等が多いのだろう。
富山県の県鳥は「雷鳥」(天然記念物)、全国3千羽生息している内、富山県には1300羽いるのだそうだ。運がよければライチョウにお目にかかれるかもしれないと思ったが、まだ時期が早いのかもしれない、見ることができなかった。
立山・黒部は行きたいなあと思いながら果たせない所だったが、2日間いい思いをした。立山の向こう側に大観峰(2316)があることを発見した。大観峰は阿蘇にもあったなあ。

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このページは、宝徳 健が2007年5月12日 05:10に書いたブログ記事です。

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