肉じゃが(5月24日の日誌)

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   昨日のルーティンは完結。握手は2回。累計2156回。手紙が毎日書けている。うれしい。メールとかで返事がもらえる。新しい世界がでてきた。1月は、月に4通書くのがやっとだったのに。うれしい。
 先日の、ひよこクラブは舞鶴で行いました。イージス鑑が見られてラッキー。引き揚げ記念館にも行きました。私は、両親の家が共に引揚者です。毎年、終戦記念日になると、引き揚げ体験の悲惨さを聞かされてきました。私の父方の祖父は、満州で抑留されてそのまま帰らぬ人に。この内容は、「孫への手紙」の欄で紹介しています。親父は、祖父に帰ってきて欲しくて、舞鶴の小桟橋に何度も行ったそうです。
 母の引き揚げ体験については、いずれ書きます。
  その引き揚げ記念館にレトルトの肉じゃがが売っていました。肉じゃがは、舞鶴が発祥の地らしい。知らなかった。以下、そのレトルトの肉じゃがに書いてある内容を書きます。
「「肉じゃが」は、舞鶴が発祥の地と言われています。舞鶴海軍鎮守府初代司令長官の東郷平八郎が、留学先のイギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられずに部下に命じて作らせたところ、当時はイギリスのようにワインやバター等の調味料が無く、醤油・砂糖・ごま油で味付けした「日本的和風ビーフシチュー」つまり「肉じゃが」が出来上がりました。そのつくり方は、「海軍厨業管理教科書」として、海上自衛隊舞鶴地方総監部にだけ残っております」
 だそうです。食べてみたら、すごくおいしい。今度、買いだめしよっと。

 もうすぐ海軍記念日。ロシアのバルチック艦隊を打ち破ったのは、連司令長官、東郷平八郎が率い、天才参謀秋山真之を有する、わが国の連合艦隊です。国家と国民が一体となった存亡をかけた戦いでした。海軍記念日にまたこの内容は書きます。明治維新が1868年、日露戦争が1904年。開国後たった、30年足らずで世界最強国と呼ばれたロシアに勝利しました。明治の頃の日本人の強さを今の私たちはみならはなければならないでしょう。今の私たち日本人では、明治維新も日清・日露戦争の勝利も、戦後の復興もできないでしょう。

【昨日の私】
朝ごはん:朝のおつとめしてたら食べられなかった
昼ごはん:名神の集中工事渋滞で、講演会場に遅く着いたので、食べられなかった。
      でも、遅い昼食として、講演会終わった後に、焼津のさかなセンターの中にあるすし屋でお       すしをつまみました。まいう~。生のさくら海老の軍艦巻き初めて食べた~。
夜ごはん:その、さかなセンターで買ってきた、生さくら海老とかわさび漬けとか、さっき書いた舞鶴の        肉じゃがとか食べました。

 静岡JAで講演会でした。久しぶりなので、うれしかった。前述しましたが、終わってから、帰り道に焼津のさかなセンターに足を伸ばしました。はっきり言って入り前は、普通のお土産やさんぐらいだろうとなめていました。でも、すごいすごい。楽しく買い物できました。お寿司、ほんとうにおいしかったので、名前と場所を書いておきます。
 有限会社丸信  焼津市八楠4丁目13番地の7 さかなセンター内 054(628)7715

 余談ですが、さかなセンターの店員さんたちの販売に対する迫力はすごかった。SSのみんなも連れて行こっと。

【今日の私】
 夜まで岐阜事務所で仕事です。夜、ある会社の社長さんと幹部の人と食事します。

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このページは、宝徳 健が2007年5月25日 06:28に書いたブログ記事です。

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