教育勅語解説

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   この教育勅語を毎朝、暗唱のために音読しています。三分の一くらい暗唱できました。読んでいると、しっかりとした人間の幹を作りなさい。日本の国民としてしっかりと生きなさい。自分のことばかり考えるのではなく、全体を強くすることを考えなさい。と説いることがわかります。まさに武士道です。
 教育勅語は、昭和23年6月19日の衆参両院で、排除と失効の決議がなされました。しかし、教育勅語は法律ではありません。法律でないものを立法府が廃止することはできません。教育勅語は詔勅です。詔勅は詔勅でなければ廃止することはできません。マスコミは、その不合理性をなぜたたかなかったのでしょうか? 真実を明らかにすることが民主主義の基本であり、それがマスコミの使命であるとすれば、昨今の、海外に蹂躙されてほんとうに正しい歴史認識を追求しないマスコミ、このような重大なことをなおざりにするマスコミは猛省すべきです。もっとも、不勉強な国民が最も危険ですが。
 今日は、「学ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以ッテ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ」です。私の私見ではなく、私自身の勉強のためにも、正しく意味を記述しておきます。
   個人個人が完全な人物として、国家のために役に立つ人間になるためには、まず、自分を練磨しなければなりません。己を練磨するには、学問を修め、業を習い、以って己の知力を啓発しなければなりません。しかし、之ではまだ足りず、徳性を完成させ道徳的人物にならなければなりません。
 人の世に生き、国家に貢献するためには、道理を明らかにし、自分の活動に過ちがないように気をつけます。そして、道理を語り、自分の活動を正確にするには、学問をするということです。
 しかし、ただ、学問を修めたところで、これを活用しなければなんの意味もありません。ですから、業を習いという、何か一定の仕事に就き、国民としての本文をまっとうすることが必要です。一日の怠惰は一日の国運の衰退を意味します。
 そして、学業を修め業を習うために、智能を啓発します。
 さらに、人の万物の霊長たる所以は、人としての徳性を備えることにあります。いかに知識があっても、品性がなくては真の人とはいえません。

【所感】
 やはりすぐれた内容ですね。素晴らしい。教育基本法は不要では?教育勅語で十分です。この文を読めば、政府のニート対策など不要ですね。理念に反した人間なので。

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このページは、宝徳 健が2007年5月15日 00:20に書いたブログ記事です。

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