貞観政要

| コメント(0) | トラックバック(0)
   このシリーズは左下のカテゴリー「貞観政要」に格納されています。シリーズでご覧になりたい方はどうぞ。3週間あいてしまいました。すみません。

 今日は「諍臣(そうしん)は必ずその漸を諌む」です。諫議大夫とは、皇帝のそばにいて、諫言を呈する役割の人です。舜も禹も古代の理想の王です。

  貞観十七年、太宗が諫議大夫の褚遂良(ちょすいりょう)に尋ねました。

「昔、舜が漆器をつくったときも、禹が供物用の台に彫刻をほどこしたときも、それを諌める者が十人以上もいたという。たかが食器類のことで、事々し い諫言など必要ないと思うが、そなたはどう考える」

 褚遂良(ちょすいりょう)が答えました。

「彫刻に凝れば農事が疎かになり、機織に凝れば、それだけ女どもに負担がかかりましょう。奢侈に走るのは滅亡を招く元であります。漆器だけですめば まだよいのですが、やがて金で食器をつくるようになり、いずれは金でもあきたらなくなって、玉で食器をつくるようになります。ですから、争臣は必ず初期の 段階で苦言を呈し、末期になるとあえて諌めたりしません」

 太宗が言った。

「そなたの申したことはもっともである。しかしながら、もし私に不都合なことがあれば、初期だろうと、末期であろうと、遠慮なく苦言を呈してほし い。近ごろ、先人の記録をひも解いているが、その中に、臣下があることを諌めても、「今さらやめることはできない」とか「すでに許可を与えてしまった」と 聞き流し、いっこうに改めようとしね、そんな話がよく出てくる。君子がこんな態度をとっていたのでは、あっというまに国を滅ぼしてしまうだろう」

【所感:宝徳(私見です。参考本とは関係ありません)】
 倹約ということと、苦言を初期の段階でしていくことの大切さが書かれています。倹約ということは、経営者にとって不可欠のものであることは、あらゆる古 典に書かれていることですが、裕福な時代に育った私たちは、ついそれを怠りがちです。故宇佐美史郎氏は、ほんとうに倹約家でした。ケチなのではなく、自分 の夢実現のために、普段は本当に質素でした。我慢しているのではなく、質素でした。
 苦言を初期の段階で聞くことは、経営者の維持が邪魔をしてしまうことが多々あります。また、中小零細企業の経営者は、諫言してくれる存在を内部・外部に 持つことが大切です。中小零細企業と大企業の大きな差は、中小零細企業の経営者には、大企業とは比較にならないくらい大きな権限を保有しているということ です。裸の王様になりやすいことを自覚しましょう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/920

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2009年5月25日 06:01に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「戦国策」です。

次のブログ記事は「士魂商才第二十一号(5月24日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。