戦国策

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 ちょっと間があいてしまってごめんなさい。6月17日の続きです。秦の昭王から武安君のところに派遣された范雎に対して、武安君が答える続きで す。

 

「その結果、趙は、耕作にはげんで蓄積を増やした。孤児を養い幼児を育てて人口をふ やした。武器を整備し兵力を増強した。城をつくり堀を深くして守りを固めた。国王は家臣に、家臣は勇士に、それぞれ礼を尽くしている。平原君(へいげんく ん)の一族郎党ごときは、妻や妾に兵卒の服のほころびまでつくろわせている。いま攻めても、趙の守りは堅い。戦いを挑んでも応じない。都を包囲しても勝て ない。城を攻めても落とせない。村を略奪しても得るものはない。出兵するからには勝たねばならない。さもないと諸侯は秦を軽んじて、趙に援軍を送るにちが いない。今攻めても、得なことはひとつもない。それに病中のわたしには出陣はおぼつかない」

 范雎は赤面して引き下がり、その胸を王に言上しました。昭王は

「よし、白起(武安君のこと)がいやだというなら俺がやろう」と自ら戦いに赴きます。

 でも、八、九ヶ月がある都市を囲みましたが、死傷者ばかり出して攻略できません。かえって、趙のゲリラに後方を撹乱される始末です。

 さあ、どうなるでしょうか。

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このページは、宝徳 健が2009年6月22日 07:31に書いたブログ記事です。

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