どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝

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 前回は、大塚が犬塚になったいわれでした。さて、信乃が生まれるときの話をします。
 その前に、鎌倉では、成氏が重臣上杉と争って破れ、下総の古河に逃れます。今の、茨城県古河市ですね。「万葉集」や「吾妻鏡」に名前が出てくるなど、その歴史は古代にさかのぼります。中世の室町時代、近世の江戸時代においても関東の政治・文化の中心のひとつとして栄えました。

 まあ、その争いで、また関東は戦乱の世の中となります。

 ところで、番作夫婦は十四、五年の間、男児を三人もうけましたが、いずれも夭折(ようせつ)します。「三十を超えたのに一人の子もないのは残念」と番作がこぼすのを聞いた妻の手束(たつか)は、滝野川の弁財天に、朝早く起きて、三年間毎日、お参りをしました。

 ある秋の朝、月の光を夜明けと間違えて、あわてて弁財天に参るために家を出ました。

 ちなみに、私の親友にYGHRという人物がいます。大学時代、彼の下宿に夕方の5時に行くと、出かける準備をしているではありませんか。「どこに行くんだ」と聞くと、「朝だから、起きて学校に行く」と答えました。そうです、彼は、前の日の夜に寝て、その日の夕方まで寝ていたのです。ずっと。それで、夕日を朝日と間違えました。なつかしい、どうでもいい思い出です。

 話を戻します。忙しいから、いらんこと書かんでいいって? すみません。

 手束は、まだ暗い田んぼのあぜ道を歩いていると、背が黒く腹が白い子犬が尾をふってくんくん鳴きながらついてきます。手束のまわりを離れようとしません。連れて帰ろうと抱き上げようとしたとき、南の方にうらうらと紫の雲がたなびいています。見れば、なんとその雲の間にあでやかな天女が黒白まだらの老犬に腰掛けて、左手にたくさんの珠をもち、右手で手束を招きながら、一言もものを言わずいるではありませんか。天女は一個の珠を投げてよこします。手束はその珠を受けようとしましたが、珠は指の間から零れ落ちて、ころころと子犬の側に落ちました。探してみたけれど見つかりません。

 ふと空を仰げば、不思議なことに、紫の雲も天女も消えています。手束は、子犬を抱いて家に戻るとまもなく、身重となり、翌年の夏、男の子が生まれました。これが犬塚信乃です。ほんまかいな~、キリストや秀吉みたいな逸話や~。まあ、だから物語は面白い。

 えっ? 何で信乃って名づけたかって? それは次回のお楽しみね。

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このページは、宝徳 健が2009年11月30日 06:48に書いたブログ記事です。

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