戦国策

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 さて、日があいてすみませんでした。今日のテーマは「三段構えの保身術」です。戦国の世を生きる人たちのたくましさはおもしろいですね。
 楚の襄王(じょうおう)は、太子時代、斉の人質となっていました。父の懐王が亡くなったので、斉王に帰国を願い出ました。斉の湣王(びんおう)は言いました。

「東地(とうち)五百里ををくれるなら帰そう。さもなければ帰すわけにはいかぬ」
「側近と相談のうえお答えします」

側近は、「くれてやりましょう。土地は身を全うするためにあるもの。土地を惜しがって、父王のお弔いもしないとあっては義に反します」

 太子は斉王に土地を渡す旨を告げました。斉王は帰国を許しました。

 太子は、帰国して即位し、襄王となりました。ほどなく斉の使いが車五十輌を連ねて東地の受取にやってきました。

 襄王は側近に諮りました。

襄「斉の使いが東地を受け取りに来たが、どうすればいいだろう」
側「明日、群臣を召して、それぞれの考え方を述べさせてみたらどうでしょうか」

 王は、まず、群臣Aに聞きました。
襄「故国に帰って父王を弔い、王位を継ぐために斉王に東地五百里を与える約束をした。斉から使いが来ている。どうすればいいだろうか」
A「それは与えぬわけには参りません。王がじきじき強国の斉と約束されたのに、与えぬとあっては約束に反します。そんなことをすれば、今後、諸侯と盟約など結べません。ひとまず与えて、また攻め取る。この手はいかがでしょう。与えれば約束は守れます。武力さえあればまた攻め取れます。私は与えるべきだと思います」

 次に襄王は群臣Bに同じ質問をしました。
B「与えてはなりませぬぞ。そもそも領土が広大であればこそ、大国といわれるのです。東地五百里を手放せば、実に領土の半分を失います。名は大国でも、小国ほどの力もなくなります。私が行って守ってきます」

 次に襄王はCに質問しました。
C「与えてはなりません。とは申せ、我が国だけでは守りきれません。王がじきじき強国の斉と約束されたのに、与えぬとあっては、天下に不義の名を残します。さればといって、独力では守りきれません。私は秦に救援を求めに行ってまいります」

 襄王は、最初の側近に聞きました。
襄「三人三様だが、どうすればいい?」
側「三つともおとりあげになってください」
襄「?」
側「まあ、お聞き下さい。きっと納得していただけると思います。まずは、Aに車五十輌をつけて、斉にやり、東地五百里を献上させます。その翌日、Bを大将軍に任命して、東地を守らせます。さらにその翌日Cに車五十輌をつけて、秦に救援を請わせるのです」
襄「なるほど」

 襄王はその通りにしました。

 Aが斉に使いに行った後、斉王は、軍を東地に進めました。でも、Bが「私が守っている限り、ここは渡さん!」

 斉王はAに言いました。「いったいどうなってるんだ」。Aは「私は王からじきじきにこの命を受けております。どうぞ、お攻めください」

 斉王は、攻めました。すると、そこに秦の大軍が来るではありませんか。

秦「そんな条件で楚王を帰国させなかったのは斉が悪い、秦が相手をするぞ」

 斉王はわけがわからず、秦を恐れ攻撃を中止しました。

 外交というのは政治のダイナミズムですね。





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このページは、宝徳 健が2009年11月27日 11:35に書いたブログ記事です。

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