どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝

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 額蔵にも信乃と同じあざがあり、そして、白い玉を持っていたとことまででした。

 さて、続きを読む前に、「上総(かずさ)」「下総(しもうさ)」という地名が出てきます。上総は、安房の国です。房総半島の先っぽ。木更津から先でしょうか。下総は、市川とかから北の方です。今の感覚では、市川の方が東京に近いのに、なぜ、遠い安房が「上」なのかということです。昔は、鎌倉や江戸から、船で木更津に行っていましたので、安房の方が近かったのですね。だから、安房が「上」です。そして、千葉県は「麻」がたくさん取れたので、「麻」なまって「総」となり、上総、下総となりました。千葉県県勢要覧を読むと載っています。
 額蔵の玉には「義」の文字が。

 信乃も自分の玉の由来を詳しく話しました。額蔵は思わずヒザを進め、感嘆のあまり思わず涙をこぼして自分の素性を打ち明けました。

「世の中に運の悪いのはわたし一人ではないこと、若旦那のお話でよくわかりました。私は、伊豆の国、北条荘の荘官、犬川衛二の一人っ子です。私が生まれたとき、家の老僕が、産着を埋めようと縁の下を掘ったとき、この玉を手に入れたのです。父は、堀越の御所といわれた足利政知(まさとも)様に仕えていたのですが、この方の苛政(かせい:ひどい政治)にたいして、父は何度も諫言しましたが受け入れられず、かえって自害に追い込まれ、妻子は追放の憂き目にあいました。七つの私をかかえた母は、親類縁者を頼ってまわりましたが、どこにもおいてもらえず、従兄に当たる、安房(あわ)の領主里見家の家臣を当てに鎌倉まで行きましたが、鎌倉から安房へ行く船が、乱世で出ません。

 しかたがなく、下総の行徳に、上総に渡る船があると聞いて、行徳を目指してこの大塚の里まできたところ、追いはぎに旅費を奪い取られてしまいました。その夜は寝るところもなく、村長の蟇六どのの家に行って、一夜の宿を頼んだところ、銭なしには貸す場所はないと追い立てられました。日は暮れ、雪は降り出し、母は病で亡くなりました。翌朝、私は尊重のところに連れて行かれました。村長は『お前の母の埋葬代などがかなりかかった。それを弁償してもらう。一生奉公したら払えるかもしれんぞ』と言われて、あの家にとめおかれました。男子の一生がこんなことで終わってたまるかと思っておりましたところ、今回の若旦那との出会いです。」

 信乃と額蔵は、兄弟の誓いをかわしました。額蔵の方が七ヶ月早く生まれたので、兄ということにしました。額蔵は、「義」の文字にちなんで、犬川荘助義任(よしとう)と名乗ることにしました。

 そして、銘刀村雨を守るためには、二人は仲が悪いということにしました。
 どんどん、展開が面白くなります。つづく。

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このページは、宝徳 健が2009年12月20日 10:22に書いたブログ記事です。

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