貞観政要

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「貞観政要(じょうがんせいよう)」に格納されています。

 唐の太宗が行った理想の政治といわれる貞観の治のことが書かれた貞観政要を紹介しています。ここ数日、貞観政要を連続して掲載していますが、シリーズで時々紹介してきたこの貞観政要ももう終わりに近づいています。ですから、読者のみなさんがイメージしやすいように連続して書いています。

 では、またまた、魏徴が太宗に諫言します。
 貞観十二年、太宗は東方巡視に出て、洛陽に向かう途中、ある宮殿に宿泊しました。そのとき、その宮殿の管理の役人を大勢処罰しました。それを知った魏徴が諌めました。

「このたび洛陽に行幸されるのは、かつて陛下自ら軍を率いて鎮撫にあたったゆかりの地であるがために、その安定を願い、土地の故老に恩恵を加えようとしてのことでしょう。ところが、城内の民にまだ恩恵を加えないうちに、宮殿管理の諸役人を処罰なさる。しかもその罪状たるや、用意された身の回りの品に不満があるとか、食事の準備に手抜かりがあったとか、いずれも取るに足らないことであります。これは、陛下のお気持ちが足ることを忘れて、奢侈に傾いているからです。これでは、なんのための行幸であったのか理解に苦しみますし、人民の期待にも反することになりましょう。

 隋の煬帝(ようだい)は、臣下に命じて食事をととのえさせ、意に満たなければ、厳しく処分しました。上の好むところ、下もこれを見習うとか。ために隋は、君臣こぞって奢侈に流れ、ついに国を滅ぼしてしまいました。これは本を読んでわかったことではなく、陛下がその目で親しくご覧になったところです。あまりの無道さに、天もついに見限り、陛下に命じてこれに取って代わらせました。したがって、陛下は今、責任の重さを自覚して何事にも倹約を旨とし、すぐれた先人に見習い、子孫のよき手本にならなければなりません。それがこともあろうに煬帝ごときの真似をなさるとは、なんたることでしょうか。陛下がもし足るを知ることを心がけるなら、これから先、子孫もまたそれを見習うでしょう。もし足ることを忘れて奢侈に走れば、やがて今日に満倍する贅沢をしても飽き足りなくなりますぞ」

 太宗は、魏徴のただならぬ気配にいたく感じ入りました。
「うむ。よくぞ申してくれた。今後は心して、かようなことがないように努めたいと思う」

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/528

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2010年2月26日 04:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「和歌」です。

次のブログ記事は「どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。