どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝

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 宴会の酒に酔いつぶれ、寝床に入った、家老親子でした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子


 小文吾は、旦開(あさけの)野がこないなぁと思ったそのときです、屋敷の方で人の叫び声がします。さわがしい足音もします。あ~、旦開野がつかまったな~と小文吾は思いました。

 と、そのとき、向こうの庭の松ノ木を伝わって、塀を飛び越えてくる人影があるではありませんか。見ると、旦開野(あさけの)が、黒髪も乱れに乱れ、切り裂かれた着物は血で真っ赤に染まり、右の手には刃、左手には何かを提げて走ってきました。

「犬田さま、ずいぶんお待ちかねでございましょう。やっと約束の切手を手に入れました。

 と何かを投げ出しました。月の明かりでよくみると、なんとそれは、家老の首ではありませんか。小文吾は驚いて「これはどうしたことか」と尋ねました。

旦「不思議がられるのはごもっともです。私はもともと女ではございません。十五年前、この家老に陥れられた家老の一人の娘でございます。父の一族はことごとく殺されましたが、父の妾が犬坂村で私を産み落としたとき、千葉家をはばかって、女の子と偽り、その後食うに困った母は、鼓の名人だった女田楽に雇われ、私も田楽の仲間入りをして芸を仕込まれたのです。一昨年の秋、母が亡くなった際に、自分の素性を詳しく聞き、それより、剣術、柔術、槍、手裏剣その他武芸百般をひとりで習得しました。近頃一座とともに、この地へきたところ、天の助けか、仇の家老に出会うことができました。逗留していた二十日あまり、犬田さまのことをいろいろ耳にし、世にもまれな勇士をむざむざ殺してはならぬと思い、あだ討ちを果たしましたら、一緒に逃げようと思っていたのです。あれやこれや妙なことを申し上げましてご勘弁ください。幸いにも、この酒宴に乗じて、家老親子を葬り去りました。さあ、早く逃げましょう。地理はよくわかっています」

 小文吾と旦開野(あさけの)は、脱出しました。川まで来たところで、ちょうど船が下ってきます。船に乗せろといっても、あざ笑って乗せてくれません。旦開野(あさけの)は、身軽に船に飛び乗りましたが、小文吾は乗ることができませんでした。旦開野は、「私はもう一人討たなければならない仇がいます」と言い残して、船に乗って流れていってしまいました。

 小文吾は、川に飛び込み追いつこうとしましたが、追いつきません。そこへなんと、市川の旅籠屋の船が通りかかり、小文吾は市川に行くことになりました。

「旦開野(あさけの、つまり、犬坂毛野胤智(いぬさかけのためとも:話をはしょりましたが、旦開野が名乗っています)は、玉もあざも見る暇がなかったが、その名前からして、間違いなく我々八犬士のひとりに間違いない」

 と小文吾はつぶやきました。やっと出てきましたね~、七人目です。何の玉かな~?つづく。

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このページは、宝徳 健が2010年4月 6日 00:11に書いたブログ記事です。

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