戦国策

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 中国古代戦国時代のことを書いた「戦国策」を紹介しています。

 殷が紂王の暴政によって滅び、文王、武王が軍師、太公望の力を得て周の国を建国します。その当時あったたくさんの国が、春秋時代を経て七つの国になってしまいます。

 秦・韓・魏・楚・斉・趙・燕です。

 さて、長く掲載してきたこの戦国策も、いよいよ最後の国、燕の話です。有名な刺客「荊軻(けいか)」の話もあります。縁の国は一番北にあります。悲壮なフィナーレを迎えます。でも、すっごい面白いエピソードがたくさんの国です。

 えっ?その七国がどういう位置関係にあるかって?

 いずれ図を載せますね。一番西が秦、一番東が斉です。秦は長安ぐらいかな。斉は山東半島です。海の近く。秦と斉との間に、南北に魏「北」、韓「南」にあります。魏から北へ、趙→燕。韓から南に楚という感じです。

                燕
                趙
      秦         魏       斉
                韓
                楚

 おっと、本題「蘇秦の申し開き」です。蘇秦も懐かしいですね。

 紀元前333年、舌先三寸の遊説家・蘇秦は、燕を皮切りに趙・韓・魏・斉・蘇を歴訪し、西の強国秦に対抗する六カ国同盟(合従連合)を成立させました。でも、それも束の間、翌年には早くも足並みが乱れ、斉が燕の十城をかすめました。蘇秦はあわてて、斉の宣王に説き、十城を変えさせて再び燕の易王のもとを訪れました。どうなりますかねぇ・・・。
 




 燕の易王に蘇秦の悪口を言う者がいました。

「あの男は有名なペテン師です。大国の王ともあろう方が彼を重んじるのは、つまらぬ奴とわかっていることを天下に公表するようなものです」

 易王は、蘇秦が斉から帰ってきても宿舎を与えませんでした。

 蘇秦が易王に言いました。

蘇「わたしは東周の田舎者です。あなたに初めて会ったとき、何の功もないこのわたしを、城外の外まで出迎えて、朝廷にとりたててくださいました。ところが今、斉に使いして十城を取り返し、燕の安泰をはかってきたのに、報告を聞こうともなさらない。私を中傷した奴がいるとみえます。だが、わたしが信用ならぬ男だからこそ、あなたにとっては好都合というもの。私に、約束を守り、清廉で、孝行な人としてお仕えせよとおっしゃるのですか?」

王「まあ、そうだ」

蘇「それなら私の方でお断りします。まず孝行な人間は、親元を離れて外泊はしません。したがって斉に使いすることもできません。

 清廉な人間なら、千里のかなたからやってきて、燕のごとき弱国には仕えません。

 きちんと約束を守るおとこなら、この戦国時代でほんとうに働けるでしょうか。信義を守る人間というのは自分の名を守るために汲々とする者ばかりです。

 私はといえば、国許に老婆を残してあなたに仕え、名を捨てて、進んで事にあたる道を選んだのです。ところがあなたは、しょせん名を守る君主にすぎない。わたしとあなたとでは、気が合わないのも当然です。忠勤を励んで罪を着せられる。私はそういう人間なのです」

王「忠勤を励んだ人間に罪をきせるわけがない」

蘇「まだおわかりにならない。それではひとつたとえ話で申し上げましょう。

 私の隣人の主人が役人となって遠方に赴任しました。その留守中に、妻が他の男と密通しました。その夫が帰ってくると聞いて、相手の男は心配しました。すると妻が『心配しないでちょうだい。毒酒を用意したわ』。二日後に夫が帰ってきました。妻は妾に命じて夫に酒をすすめました。妾は毒酒と知ると『これを差し上げたらご主人は死ぬ。かといって、わけを話せば奥様が追い出される』結局のところ、わざと転んでその酒をこぼしました。すると主人はたいそう立腹して妾を鞭打ったということです。

 妾がころんで酒をこぼした。だからこそ主人は死なずにすみ、妻にも終れずにすんだのです。これほど主人思いの妾でも、鞭打たれました。忠勤を励んで罪を着せられるとは、こういうことです。私の場合も、不幸にして酒をこぼした妾の立場をそっくりではありませんか。しかも私は、あなたのために大いに国威を発揚してきました。にもかかわらず罪をきせられます。これでは、今後あなたに忠勤を励む者はいなくなりますぞ。しかもわたしは、今まで斉との約束にそむいたことがありません。斉との外交は、知恵だけでは成功しません。どうしても、私の弁舌が必要なのです」

 なかなか面白い話ですね。これは「臣の不信は足下の福(さいわい)」というテーマの話です。ちょっと極端ですが「信用ならぬような男であればこそ役に立つ」という言い分ですね。曲者が仕事ができるのは事実ですが・・・。

 佐賀藩の秘本「葉隠れ」に「平気でウソがつけぬようでは、ものの役に立たぬ」とあります。いやはや。

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このページは、宝徳 健が2010年4月14日 11:38に書いたブログ記事です。

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