和歌

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 大伴家持の人生を紹介しています。
 家持は、国守として、大きく成長しました。また、朝廷の覚えもめでたく、大伴一族は揃って昇進しました。

 正妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)は、結婚した当時はまだ幼く、家持の気持ちを汲めず、家持はいろいろな女性遍歴を重ねましたが、この時期になると、家持も大嬢も、愛し愛されることを意識し始めたのです。大嬢は、歌を送り、便を送り、また、越中を訪れたりしました。家持は大粒の真珠尾の首飾りを送り、まだ大嬢が幼かった頃の姿を詠みました。

 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ

 遠く離れて妻を詠むのもよいが、やはり、こうしてそばにいられるのが何よりよい、などとのろけてもみせました。でも、これは、子供のころから薄幸で育った家持の束の間の幸せでした。叔母であり姑の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が、大嬢に何度も帰京を促してきたのです。

 大嬢のことは悲しい事件でしたが、家持の越中国守としての仕事はますます順調でした。そして、六年目の春に次の歌を詠みます。

 新しき 年の初めは いや年に 雪踏み平(なら)し 常かくにもが

 さあ、いよいよ、家持の帰京の時期が近づきます。つづく。

 さて、拙首です。


 奥深き 山の中にも 生業が 国の強さは ここを知るべし

 

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このページは、宝徳 健が2010年4月24日 08:55に書いたブログ記事です。

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