和歌

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 大伴家持(おおとものやかもち)の人生を紹介しています。
  家持は、桓武天皇の御代、皇太子の教育係になります。万葉集の巻が出来上がるたびに献上して、皇太子に奈良魂を諭しました。万葉集は皇太子の倉に保管され ていたのです。

 時は藤原氏全盛です。朝廷は藤原氏のいいなりになって遷都を繰り返しました。この時季に長岡京遷都に皇太子は強く反対し ました。そのために、皇太子は流される途中、自ら命を絶ち、家持は奥州多賀城に流されてしまいます。皇太子の死を知った家持は、病気であっけなく他界して しまいます。
 藤原氏から、遺骨を遺族に渡すことも禁じられ、少納言の名前も没収されてしまったのです。長男も流されてしまいます。
 そ れから二十余年、桓武天皇のご病気快癒を願って恩赦があり、家持は、再び少納言の地位を得ました。でも、草葉の陰から家持がもっとも喜んだのは、次の皇太 子が、保管されていた万葉集を読まれ、世に出されたことでしょう。

 これで家持の人生の紹介は終わります。

 さて、拙首 です。

 平成の 御代を生き抜く 国民は 忘れてならじ この昭和の日

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このページは、宝徳 健が2010年4月29日 06:52に書いたブログ記事です。

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