戦国策

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 中国古代戦国時代の人間の絶妙な生き方を描いた戦国策を紹介しています。

 秦の始皇帝暗殺事件という、戦国時代最大の刺客の物語です。何回かに分けて紹介しています。

 燕の太子・丹は、側近から田光(でんこう)先生という人を紹介しました。丹は側近に田光先生に話してみるようにお願いしました。
 側近は田光先生のところに行き、丹が国事のことで相談したがっていることを伝えました。

 田光先生は、「参りましょう」と言って、丹のもとに伺候しました。丹はひざまずいてうやうやしく迎えました・

丹「燕と秦は両立しません。どう対処すべきか、先生のお考えをお聞かせ下さい」
田「駿馬は血気盛んな頃には一日千里も走るが、老いては駄馬にも劣ります。太子がご存知なのは、昔の私です。もはやごらんの通りの老いぼれ、昔の私ではありません。しかしながら、国事とあればゆるがせにはできません。私が親しくしている荊軻(けいか)と申す男、これをお使い下さい」

丹「どうか先生からお口添えを願いたいものですが」
田「かしこまりました」

 田光先生は小走りに退出しました。それを見送った太子は、門のところで念をおしました。

「私の申し上げたこと、先生のおっしゃったことは、いずれも国の大事です。くれぐれも他言なさらぬように」

 田光先生は「心得ました」と苦笑いしながら答えました。

 田光先生は、いそぎ荊軻のもとを訪れて、いきさつを話し、一度太子に会うように言いました。荊軻は、承知しました。

 そして、田光先生は最後にいいました。

「私は、最後に太子に疑われ、今日のことは他言しないように言われた。私は疑われたのだ。行動を人から疑われてはもう義侠の人ではない。今から、首をはねて自害するから、『秘密は確かに守りました』と太子に伝えてくれ」

 と言って、自害してしまったのです。

 これと同じような話が日本の武士道にもあります。昔の人の死生観はすごいですね。

 さあ、荊軻は、どうでるでしょうか。つづく。
 



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このページは、宝徳 健が2010年6月 4日 14:59に書いたブログ記事です。

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