和歌

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 あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月おし照れり

 斉藤茂吉の歌です。
 旨い鰻を食ったあとの満足感が、冴え渡る月明かりに祝福されているかのようですね。道玄坂とう地名も、当時、渋谷がどんな街だったかなぁということを想像させてくれます。鰻を好きな人は多いのですね。

 私は、小学校三年生の一学期の終わりから小学校五年生まで、静岡県駿東郡裾野町に住みました(今では、静岡県裾野市)。富士山が毎日目の前にドンと座っており、水がものすごくおいしいところでした。
 その裾野市の近くに、沼津市や三島市があります。この三島市が鰻で有名な街なんだそうです。しないには二十八も鰻店があるそうです。三島市ではそんなにたくさん鰻は取れません。鰻が取れない三島氏で、なぜ、鰻が有名なのか。全国から運ばれてきた鰻は、この街では、一度富士山の湧き水に入れて保管されます。店に運ばれても、すぐに料理されずに再び富士山の湧き水にさらされます。

 三島市には柿田川という、富士山の湧き水が流れる、それはそれはきれいな川があるくらいですから、あちこちで湧き水が出ています。裾野市もそうでした。遊んでいる途中、喉が渇いたら、いつも湧き水を飲んでいましたし、遠足に水筒を持っていったことはありません。

 三島市のこの二段階の名水シャワーの間に、鰻は、腹の中の餌を吐き出し、独特の臭みが抜けて、身がしまります。

 三島には何度も行ったことはありますが、当時の我が家は貧しかったので、うなぎを食べることはありませんでした。いつか行こうっと。

 では、拙首です。

 まだ知らぬ 三島のうなぎを 食するは いつ日にかに こころ楽しむ

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このページは、宝徳 健が2010年7月25日 07:29に書いたブログ記事です。

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