誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東條英機(このシリーズでは敬称略とします)のお孫さん、東條由布子さんは、神田の古本街でこの本を手に入れた直後、静岡県裾野市に住む友人、藤川義生さんとお逢いする機会があったそうです。この方は戦時中「甲飛」という特攻隊にいた人です。戦場に行くのを待つ身でしたが、終戦によって生き残られました。それを気に病んだ藤川さんは、戦友たちの為に自費をなげうって観音像をつくり、それを全国に届けているという活動をされていました。

 東條由布子さんは、藤川さんにこの本を見せました。藤川さんは、読むなり、涙を流しながらこうおっしゃいました。

「東條さん、これこそ日本を変える大事な本です。私に複写させてもらえませんか}

 藤川さんは、すぐに全文をコピーして手作りで製本し、五十冊のその本を全国の識者に送ったそうです。まだまだ、この話には後日談があります。一冊の本が、いろいろな広がりをします。真実の強さです。

 さて、昨日は「第二次近衛内閣の成立と日本を取り巻く内外の情勢」の支那事変のことを書きました。
 東條英機が陸相に就いたとき、対外問題の第一が支那事変でした。
 支那事変は発生以来三年になっていましたが、解決の兆しもありませんでした。重慶という都市がありますが、英米が、そこに露骨に援助をしていたのです。これが、支那事変解決の最大の癌となっていました。

 日本は、早く支那事変を終わらせたかったのです。それを、特に、中国に足場を作りたいアメリカが、露骨に邪魔をしました。

 第二が、欧米各国の動向です。ドイツ・イタリアとの欧州戦争のため、フランス・オランダは東亜において、選挙区より離脱しました。英国は弱まっています。したがって、アメリカがどんどん勢力を伸ばそうとしていました。じとーっと、勢力拡大を狙っていたのがソ連です。日本はソ連が怖くて仕方が無いので、英米とは争いたくなかったのです。

 第三が、英米の日本に対する経済圧迫です。ABCD包囲陣ですね(ご存知ですよね?)

 国内世論も、こういう英米の圧迫により、自由主義ではなく、国家主義の方がよいのではないかという論調になってきました。

 さて、東條英機宣誓供述書によれば、こういう情勢の中、重要な二つの政策が決定されたと書かれています。つづく。

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このページは、宝徳 健が2010年8月12日 02:28に書いたブログ記事です。

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