誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「正しい日本の歴史」に格納されています。

 

 中国が尖閣列島を侵略し始めました。今の政権ではこれを阻止できないでしょう。近日中に詳しく書きます。韓国が竹島を不法占拠しています。これをマスコミは「実行支配」と書きます。ロシアが、北方四島問題など存在しないとしました。今の政府はこれを抗議しません。

 すべてが東京裁判史観に基づく、侵略国家思想から来ています。

 例えば自分の子供が、他人の子供に喧嘩でやられたのに、自分の子供に向かって「お前が悪い。お前は前から悪者だった。だから、その子の奴隷になれ、大学生になっても社会人になっても、老人になっても、一生誤り続けろ」と言いますか?

 それにあの戦争、日本は悪くありません。誤る必要などないのです。その証明のひとつとして、東京裁判が成り立たなくなるため、マッカーサーがその存在を抹殺してしまった「東條英機宣誓供述書」を解説しています。大東亜戦争は侵略戦争ではないという、この世の中の真実を明らかにするために。

誰が正しいかではなく何が正しいか

日本人はもうそろそろ目を覚ましましょう

 前回より、北部仏印への進駐について解説しています。あと2回ぐらいかかります。

 軍事的要素を持っていないこの進駐ではありますが、軍隊が駐留しますから、フランス軍はナーバスになります。東條英機は、この宣誓供述書で、このとき、多少の行き違いにより生じたフランス軍との戦闘についてもきちんと事実を述べています。このことからも、これが東條英機の思い込みによる供述書ではないことがわかります。

 政府間交渉では、うまくいっていても、現地には面白くないやつがいる。これは企業経営とも似ていますね。この条約は、日本側の誠意なる交渉によって、とても早く妥結しようとしました。しかしながら、1940年9月5日(締結の一日前)、日本軍が、仏側と支那の国境を日本軍が侵したということを言われ、仏側は、この条約締結を嫌がります。したたかですね~。別に日本軍進駐に国際法的な問題がないフランスはこれを受けざるを得ませんが、英米に対する顔もあります。

 後の日本の軍法会議によって、この国境侵犯がまったくのデマであったことが証明されています。また、仏側は、小さな小競り合いをしかけて日本側を翻弄し締結を遅らせようとします。

 でも、日本は支那事変を解決したくてしかたがなかったのです。だから、粘り強い交渉を重ね、ついには、仏との交渉に成功します。侵略戦争なら、一気に攻めあがっていますよね。この事実を見ても、大東亜戦争が侵略戦争ではなかったことがわかります。

 私の大学時代の友人が「アジアの人たちに迷惑をかけた戦争なんだから、日本は反省しなきゃね」という発言をした人がいました。最高学府で学んでも、こういうものです。いかに戦後の教育が誤っていたかということがわかります。また、「侵略戦争ではない」という私の発現を聞いて、「それはいいすぎだろう」と思う人がほとんどだと思います。それほど、この国の戦後の教育はひどかったのです。英霊たちは、こんな国家を作るため、こんな国民をみるために、先の大戦で命を落としたのではありません。

 日本はアジアの人たちと戦っていません(支那を除いて:それも避けたかった)。アジアで欧米と戦ったのです。アジアの人たちには迷惑はかけていません。

 次回、この北部仏印(ベトナム)への進駐のまとめをします。

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このページは、宝徳 健が2010年9月 9日 06:35に書いたブログ記事です。

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