誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「日ソ中立条約と松岡外相の渡欧」です。「東條英機宣誓供述書」の二十~二十五に記述されています。

 今日から、「暗礁に乗り上げた日米関係」です。

 とにかく、日本は米国との関係に気をつかいます。米国の戦力を知っていたのですね。仮想敵国であるソ連と結んでまで米国関係を改善しようとしていたのです。奇襲?冗談じゃありませんよね。

 東條英機宣誓供述書二十六~三十二という長い供述になっています。

最初は、東條英機宣誓供述書の抜粋をします。二十六を紹介します。

「いわゆる日米了解案なるものを日本政府が受け取ったのは1941年四月十八日であります。この日以降、政府としてこれを研究するようになりました。私は無論陸軍大臣としてこれに関与しました。ただし私は職務上軍に関係がある事項につき特に関心を有しておりましてその他のことは首相及び外相が取り扱われたのであります。

 かかる案が成立したまでのことについて私の了解するところでは、これは近衛首相が三国同盟の締結に伴いその日米国交に及ぼす影響に苦慮せられておったのに淵源するのであって、早くすでに1940年末より日米の私人の間に、初めて日本において、後には米国において、話合が続けられて来ておったごとくでありました。米国における下交渉は日本側は野村大使了解の下にまた米国側では大統領国務長官、郵務長官の下に行われておった旨華府(ワシントン)駐在の陸軍武官から報道を受けておりました。

 右了解案は非公式の私案ということになっておりますがしかし大統領も国務長官もこれを承知し特に国務長官から、在米日本大使にこの案を基礎として交渉を進めて可なりや否やの日本政府の訓令を求められたき旨の意思表示があった以上、われわれはこれを公式のものと思っておりました。すなわちこの案に対する日本政府の態度の表示を求められた時に日米交渉は開始されたものと認めたのであります」

 まさに兵は詭道なりです。米国は最初、妥協可能な案を日本に提示していたのです。日本政府は少し安堵します。でも、それは詭道(だましあい)。徐々に苦しめ、そして、最後がハル・ノートです。

 あの戦争がなかったらどうなっていたか。こういう検証が日本において、まったくなされていません。あの戦争をしなかったら、日本はアメリカの奴隷のような国になっていました。アパルトヘイトのような。日本が邪魔で仕方がなかったアメリカは、どういう手段をとろうとも、日本を叩いていたでしょう。それが侵略戦争なのでしょうか?

 どの事実をどう学んだら、大東亜戦争が侵略戦争になるのでしょうか? 誰でもいいですから、教えてください。

日本人は早く目を覚ましましょう

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このページは、宝徳 健が2010年10月 7日 00:08に書いたブログ記事です。

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