誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

  前回から「南部仏印進駐問題」を解説しています。この部分はとても何回なので、話が前後したらごめんなさい。

 前回のべた進駐は、ドイツのソ連進行と歩調を合わせたのだろうと、アメリカが難癖をつけます。東條英機は、それを否定します。

※これは株式会社経営戦略室 宝徳 健のブログです。
本文を抜粋します。

「右の日、仏印共同防衛議定書の締結に至るまでの事情に関し陳述いたします。これは1941年(昭和十六年)六月二十五日の南方施策促進に関する件という連絡会議決定に基づくものであります。この決定は源を同年一月三十日の連絡会議決定である、前記「対仏印泰施策要綱」に発しておるのであります。その当時は仏印特定地点に航空および船舶基地の設定およびこれが維持のため所要機関の派遣を企図したものでありましたが、情勢が緩和いたしましたから、これを差し控えることにしました。しかるにその後、また情勢が変化し、わけても蘭印(インドネシア)との通商交渉は六月十日頃には決裂状態にあることが判明しました。そこで同年六月十三日の連絡会議の決定で「南方施策促進に関する件」を議定しましたが松岡外相の要望で一時これを延期し、これを同月二十五日に持ち越したのであります。その様な次第でありますから、南仏印進駐のことは、六月二十日にの独ソ開戦よりも十日以前に決心せられたもので決して独ソの開戦を契機として考えられたものではありません。(後略)」

 蘭=オランダは、ABCD包囲陣の一角です。この宣誓供述書でだんだんその実情が明らかになります。確かにこれを出されたら、東京裁判はふっとびますね。だって、日本を戦争に巻き込んでいったのは、欧米なのですから。

 息を呑む展開が続きます。

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このページは、宝徳 健が2010年11月 5日 00:21に書いたブログ記事です。

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