誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
 
 今は、「南部仏印進駐問題」を解説しています。仏印とはベトナムあたりです。

 前回の続きです。

 1940年(昭和十五年)九月には日仏印関係について、米国務省首脳部は協議し、同方面の現状維持を主張する声明を発表しました。同年七月八日にヤーネル提督はUP通信社を通じ、対日強行論を発表しました。同年十月にノックス海軍長官はワシントンにおいて三国同盟の挑発に応じる用意ありと演説しました。同年九月には、米海軍省は1940年(昭和十五年)度の米海軍の根本政策は南洋艦隊建設と航空強化の二点にありと強調しました。

 1940年(昭和十五年)十一月いはラモント氏は対日圧迫強化の場合は、財界はこれに協力し支持するであろうと演説しました。同年同月十一日休戦記念日においては、ノックス海軍長官は行動を以って全体主義に答えんと強調しました。同年同月英国のイーデン外相は、下院において対日非協力の演説をしました。さらに1941年(昭和十六年)に入り、五月二十七日にルーズベルト大統領は無制限非常事態状態を宣言しました。

 これより先、1940年(昭和十五年)十月八日には米国政府は、東亜在住の婦女子の引き上げを勧告しました。、上海在住の米国婦女子百四十名は同月中、上海を発し本国に向かいました。米本国では国務省は米人の極東向け旅券発給を停止しました。同年十月十九日に名古屋市にある米国領事館を閉鎖しました。

 いずれも、日本が和平交渉をしている最中です。米国はもう戦争をやる気満々でした。そして、日本を打ち負かし、自分たちがアジアでやった悪行をすべて日本に押し付けたのです。

 この事実を見ても、大東亜戦争が侵略戦争だったと言うのですか? どの事実をどう勉強したら、あの戦争が侵略戦争になるのでしょうか? 不思議でなりません。誰か教えてください。

日本人は早く目を覚ましましょう

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このページは、宝徳 健が2010年11月21日 08:11に書いたブログ記事です。

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