誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
 
 今は、「南部仏印進駐問題」を解説しています。仏印とはベトナムあたりです。

 前回の続きです。欧米の日本圧迫はますますひどくなります。お読みいただければわかりますよね? どこをどう勉強したら、あの戦争が日本の侵略戦争ということになるのでしょうか? 私にはまったくわかりません。誰か教えてください。大東亜戦争は侵略戦争ではありません。自衛戦争です。

 米英側は、仏印と泰に対する対日離反の策動および仏印泰に敵性動向ありと認めた事由を、東條英機は、宣誓供述書の中で述べています。

①泰、仏印の要人は1940年(昭和十五年)以来シンガポールにある英国勢力と連絡しつつあるとの情報が頻繁に入ってきました。その結果、日本の生存に必要なる米およびゴムをこれらの地区において買い取る妨害が行われました。日本の食糧事情として当時年約百五十万トンの米を仏印及び泰より輸入する必要がありました。これらの事情のため日仏印の間に1941年(昭和十六年)五月六日に経済協定を結んで七十万トンの米の入手を契約しました。しかし、仏印は契約成立後一ヶ月を経過しない六月に協定に基づく同月分契約量十万トンを五万トンに半減してきました。日本としてはやむなくこれを承諾しました。すると、七、八月分についても契約料の半減を通達してきました。

 泰においては、英国は1840(年昭和十五年)末に泰ライス会社に対してシンガポール向け泰米六十万トンという大量の発注をなし、日本の泰における米の取得を妨害しました。

 ゴムについては、仏印のゴムの年産量は六万トンでした。その中日本はわずか一万五千トンを米ドル祓いで入手していました。しかし、1941年(昭和十六年)六月中旬、米国は仏印のハノイ領事に対して、仏印清算ゴムの最大量の買付を命じ日本のゴム取得を妨害しました。英国はその属領に対して1941年(昭和十六年)五月中旬日本及び円ブロック向けゴムの全面的禁止を行いました。

 

 私の大学時代の友人がこういいました「日本はアジアの国々と戦争をして迷惑をかけた」。大学を卒業した人間がこのような認識です。日本はアジアの国々と早々をしていません。アジアで、欧米と戦争をしたのです。欧米がどれほどアジアの国々にひどいことをしたのかをしっかりと認識する必要があります。えっ? 中国とはしたじゃないかって? あれは、戦争ではなく事変です。それも日本からはしかけていません。また、日本は早くこの日支事変をおさめたくてしかたがなかったのですが、英米が蒋介石を支援し、どんどん拡大させていったのです。

 正しい歴史を知りましょう。日本人は早く目を覚ましましょう。

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このページは、宝徳 健が2010年11月25日 07:05に書いたブログ記事です。

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