和歌

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 正岡子規の歌を紹介します。

 かめにさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり

 「かめにさしてある藤の花ぶさが短いので、畳の上にはとどかない」
 脊椎カリエスで、いくばくかの命だった子規の歌です。子規がいなかったら、俳句も和歌も100年遅れていたのではないでしょうか。命を懸けて詠んだ歌ですね。

 明治維新が1868年(いっぱつやろうや)、日清戦争が1894年(いっぱつくしざし)、日露戦争が1904年(ひとつくれようげんこつを)です。その間に、郵便制度を整え鉄道を敷き・・・。たった30年あまりでなぜ明治の人たちはこんなことができたのでしょうか。それを今の私たち日本人は考える必要があります。

 このときの国家には福祉なんていうものはありません。儲からないからといって、政府は手当てをくれません。職が無いからといって、お金を出してくれません。フリーターやニーターはいませんでした。いたとしても凍え死ぬか乞食です。

 国民が国家を支えていました。日本の国体がなせる教育の淵源ですね。

 NHKの「坂の上の雲は」とっても面白い。NHKにはめずらしい。あの、日曜日の21時からはじまる観るにも耐えられないNHKスペシャルなんかとは全然違います。
 広瀬武夫、いいですね~。息子が「お父さん、この人、本物の広瀬武夫そっくりだね」というぐらいイメージがあいます。私の大好きな軍人の一人です。

 阿部ひろしの秋山好古、渡哲也の東郷平八郎、竹中直人の小村寿太郎なんか、もうすごいですね。ピッタンコ、ピッタンコ。 秋山真之役は、もっくんっていうんでしたっけ?やっくんっていうんでしたっけ?まあまあですね。彼だけちょっとイメージから外れているかな。

 では、拙首です。

 やせたいと カロリー計算 しているが ああ食べたいな もっと食べたい

 なんちゅう、和歌でしょうか。

 今日は、時間があるので少し余談を。先ほどの、軍神 広瀬武夫を知らない人がなんと多いことか。あんな素敵な日本人がいたことを今の日本人は知らない。悲しいことです。ちょっと紹介させてください。

hirose_cloud.gif

  広瀬武夫は、日清戦争に従軍し海軍大尉に昇進した後、ロシアに留学します。そこで、ロシア人女性と恋に落ちたことは、NHKの「坂の上の雲」であったとおりです。この脚本家上手ですね。ほんとうにイメージがあいます。当時のロシアは日本人のことを「猿」と言ってばかにしていました。事実、日露戦争の時のソ連側陸軍総司令官はクロパトキンと言いますが、戦闘開始の際には、「さてと、猿でも狩に行くか」と言っていたそうです。また、ポーツマス条約の時には皇帝ニコライが、「猿に与える一片の土地も、一銭の金も無い」とのたまりました。もっとも、日本軍はクロパトキンのことを黒鳩(クロパト)と呼んでいましたが。

 そんな環境下、ロシア人貴族女性が恋をした広瀬の人間性はたまらなかったのでしょうね。

 その後ロシア駐在武官になり、海軍少佐に昇進します。帰国後、日露戦争が始まります。ロシアの旅順艦隊を防ぎたい日本は、艦隊が外に出られないようにするため、古い舟を旅順港の入り口に沈める「旅順港閉塞作戦」を展開します。

 第二回目の閉塞作戦で広瀬武夫は、閉塞舟 福井丸を指揮します。さて、首尾よく福井丸を沈める段取りができて、兵士達は、脱出用のボートに乗り移ります。するとそのとき、広瀬は、部下の杉野上等兵曹がいないことに気づきます。

 広瀬は沈みかけている福井丸に三度、杉野を探しに行きます。まさに命がけです。どうしても見つかりません。あきらめて、脱出用のボートに乗り移ったとき、ロシア軍の砲弾が頭部に直撃し、戦死します。 殉死ですので即日中佐に昇進です。

 海軍には、「キャプテンラスト」という思想があります。この最後まで自分の身を犠牲にしてまで部下を救おうとする、明治人の武士道の精神に小さい頃からあこがれています。何で、戦前の日本人は、こんなに涙が出るくらい感動させる人が多いのでしょうね。

 歌があるんですよね~。私は幼い頃、両親にせがんで時々歌ってもらっていました。

「文部省唱歌 廣瀬中佐」
  1. 轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。
    荒波洗ふ デッキの上に、
    闇を貫く 中佐の叫び。
    「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」。
  2. 船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、
    呼べど答へず、さがせど見へず、
    船は次第に 波間に沈み、
    敵弾いよいよあたりに繁し。
  3. 今はとボートに 移れる中佐、
    飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、
    旅順港外 恨みぞ深き、
    軍神廣瀬と その名残れど

ユーチューブの以下のアドレスをご覧ください。音楽も聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=8xYa_zLmROU&NR=1

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このページは、宝徳 健が2010年12月25日 08:42に書いたブログ記事です。

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