誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から「太平洋戦争準備」に移ります。東條英機宣誓供述書のこの部分もとっても長くなっています。この項は、六十二~六十八です。今日は、六十五と六十六を紹介します。

 ある方から、今、この宣誓供述書はどのくらい進んでいるのですか以前に、終わったら本にしてほしいとお願いされました)? というご質問をいただきました。お孫さんの東條由布子さんの著書に解説を加えながら書いています。その著書の前書きを除いた始まりが14ページ、後書きを除いた最終ページが235ページです。ですから、全部で221ページです。今、ほんの96ページです(前書きを除くと96-14=82ページ)。だからまだ半分も行っていませんね。82/221=37%の進捗率です。

 検事側、判事側のあらゆる質問に対応できるように作られた宣誓供述書です。一級の歴史資料です。最後までお付き合いください。

 でも、読めば読むほど、日本の侵略戦争ではなかったということに確信が持てますね。まあ、そんなの当たり前のことですが。
 
 これが終わったら、南京大虐殺がうそであったことを証明します。そして、日本の司法と毎日新聞と朝日新聞がいかに国家を駄目にしたかを証明します。
六十五
 わが国の陸軍軍備は前述のごとく対ソ防衛計画を目的として準備せられらものであって、その動員上の基準兵力はソ連の極東に使用し得る予想兵力の三分の二を目標として整備せられたものであります。しかしソ連の間断なき極東兵力の増加、日本国内の財政、ならびに国内軍需生産力の面より制約を受け、以上の目的を十分に達成することができず、ことに航空機ならびに機械化兵器においてははなはだ不十分でありました。1937年(昭和十二年)七月、支那事変の勃発以来この事変遂行のための軍備の整備を必要とし、これがため一般戦備の整備はますます困難となりました。
 
 ことに航空機関係においてしかりであります。ついで情勢の急迫に伴い、ついには満州、支那および内地にある既存の兵力、既存の資材を抽出して配置転換をなし、南方渡洋作戦に応ずるごとく編成および装備を改変し随時応急の体制を以てこれに応じたのであります。作戦資材の配置もまた右の趣旨により行われました。したがって1941年(昭和十六年)九月より十二月までの間において全軍の約一割程度が南方に必要なりとして台湾および仏印に移送されたに過ぎません。

六十六
 日本の軍需生産は以上の必要に応ずるものでありまして、その内容は陸軍に関するものは次の四つであります。

(a)対ソ作戦計画に基づく所要軍需資材の整備のための生産
(b)支那事変の遂行に要する所要軍需資材の生産(これは主として消耗の補給)
(c)軍事教育用の字軍需資材の生産
(d)内地予備貯蔵のための軍需資材の生産

 右等は海軍軍事資材の関係もあり、ほとんどその最小の要求だけでもこれに応ずることはできませんでした。

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このページは、宝徳 健が2011年1月30日 08:58に書いたブログ記事です。

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