誰にでもわかる大東亜戦争の真実

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「第三次近衛内閣の総辞職」です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。今日から七十三を抜粋します。七十三はとても長く、かつ、真髄に触れています。何回かに分けます。

 何度も申し上げますが、この宣誓供述書はすごいですね。なぜ、新聞やテレビのマスメディアはこれを取り上げないのだろうか? まあ、今の腰砕けマスコミでは無理ですかね。

 といっても、今日の産経新聞は面白い記事が満載でした(朝日新聞は相変わらず国賊ですが。また今度紹介します)。その中に、佐久間艇長のことが紹介されていました。

 タイタニックが沈んだのは、1912年です。映画を観られた人も多いでしょう。なんで、人の怠慢で船が沈んで、人が死んでいく悲劇をみんな感動して観るのかがわかりません・・・。こんなこと言うと、また、嫌われそう・・・。あの、タイタニックが沈むとき、有色人種はボートに乗るのを後回しにされたんだとか・・・。

 おっと、長くなるから、この続きは、日誌に書きます。

 さて七十三です。東京裁判のうそ記述が出てきます。
七十三
 1941年(昭和十六年)十月十二日午後二時より首相の召致により荻外荘にて五相会議が行われました。出席者は、近衛首相、及川海相、豊田外相、鈴木企画院総裁および陸相の私でありました。陸海軍とも統帥部の責任者は出席いたしておりません。その他には列席者は一人もありません。会合は午後六時過ぎまで継続いたしました。統帥部の考えは私はかねてから知っておりましたから、この会議に出席するに当たり改めて参謀総長またはその他参謀本部職員などとは協議しておりません。法廷証第一一四八号「第三次近衛内閣総辞職の顛末」日本文二項英文も二頁に「しかるに会議の前日海軍の岡軍務局長の来ての懇談に、軍令部は別として海軍首脳部は日米開戦をやりたくないが、大本営決定に賛成した手前海軍自身からは、やらぬとはいうことはいえぬから、明日の会合において、海相から総理一任ということを持ち出すから総理から外交交渉で行くと裁断してもらいたい」という申出のあった記事がありますが、私も私の部下も、こんなことはまったく知らぬことでありました。
(次回に続く)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/2098

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2011年2月12日 13:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「和歌」です。

次のブログ記事は「佐久間艇長(2月11日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。