誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「第三次近衛内閣の総辞職」です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。今日は七十四と七十五です。歴史の裏話も書きます。

七十四

 翌十三日朝、私は参謀総長に会い右大体の会合の経緯を説明、申合事項を連絡しました。そして外交交渉の間、作戦準備を止めることを申出ました。統帥部としては難色がありましたが、とにかくこれに応諾しました。

七十五

 十月十四日は、閣議の日であります。この時の朝、閣議前に私は首相官邸において首相と会見しました。この時の話はやはり十二日の荻外荘の会談と同様のことに終わりました。その様子は多少修飾されておりますが、大体は法廷証第一一四八号に書いてあるごとくであります。

 同日午前十時、閣議が開かれました。豊田外相は外交妥結の見込みに付いては荻外荘会談と同様の意見を述べました。私も当時と同趣旨の説明をしたのであります。この閣議では近衛首相も及川海相も他の全閣僚もなんら発言しませぬでした。ここにおいて外相と陸相との衝突となり、これにて万事は休したのであります。

【解説】

 豊田外相と東條陸相の衝突が見られます。これが故に、東京裁判では東條英機の戦争責任が大きくなりました。また、近衛首相と及川海相は相変わらず何も発言していません。あたかも、東條英機が戦争を積極的に推進したようなかたちになりました。

 みなさん、信じられないでしょうけど、近衛首相の側近は、モスクワコミンテルンから送られていた共産主義者のスパイ(もちろん日本人)だらけだったのです。彼らは、強い関東軍をなんとか、支那と太平洋に散らそうとします。日露戦争の恨みを果たしたく、介入のチャンスをうかがっていたのです。満州に最強の日本陸軍がいては侵略できないから困るのです。日本軍がどれほど強かったか。事実、日本はアメリカ以外のどことも負けていません。

 ソ連は勝てないとわかっていました。また、日本が満州に投資をして、満州は日本以上に近代国家になっていました。それをソ連は崩したくてしかたがありません。コミンテルンは暗躍します。そのボスが有名なゾルゲです。日本はいつもソ連(ロシア)にやられています。アメリカは力はあるけれど、頭が悪いので、すっかりだまされていました。

 そうそう。昨日約束したユダヤ人の話ですね。ドイツがユダヤ人を迫害したときに、同盟国のドイツは、日本にも協力するように要請します。日本は悩みます。でも、日本には、神武天皇以来の八紘一宇という、世界の人と仲良くするという理念がありました。この八紘一宇という言葉が、戦後の誤った教育で誤解されて伝わっています。日本が世界を征服するのだという意味に。まったく違います。日本の神話を教えていない弊害がこれです。日本書紀、古事記を読みましょう。

  アジア各国は、日本を盟主に白人と対抗する連盟を望みます。でも、それを裏切って、欧米についたのが支那です。

 ユダヤ人の話でしたね。正しい八紘一宇という理念がある日本は、ユダヤ人を迫害しないと決めます。それどころか助けるのです。ユダヤ人を大勢救います。一番有名なのが、杉原千畝ですね。他の日本人もユダヤ人を救います。だから、ユダヤ人は日本にとても感謝しました。戦後、ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判と東京裁判は同じように位置づけられます。もし、このとき、この弁護団やマスコミがユダヤ人を救った事実を公表していたら、ユダヤ人の反対によって東京裁判は成り立たなくなったでしょう。まったく、情報戦略がへたくそな民族です。残念でなりません。

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このページは、宝徳 健が2011年2月18日 23:27に書いたブログ記事です。

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