誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「第三次近衛内閣の総辞職」です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。今日は七十六です。

 それと解説で、アメリカがハワイにいかに悪いことをしたかを書きます。日本人のハワイに対する姿勢も。
 その後の経過は私に関する限りにおいては、ほぼ証第一一四八号「第三次近衛内閣総辞職の顛末」の通りであります。同証日本文第十二頁英文七頁に「陸軍の武藤軍務局長が富田書記官長の所に来てこの際海軍にはっきりいってもらおうぢやないかということであったので、富田官長はこれを海軍の岡軍務局長に話したところ、岡局長はあいかわらず海軍としてはいえぬ。総理の決定に従うということ以上に申せぬということであったので云々」との記事があります。この事柄は私は同人(武藤)より確かに報告を受けております。また右証第一一四八号日本文十四頁、英文八頁に私が鈴木企画院総裁を使者として近衛総理を訪問せしめ、九月六日の御前会議の決定を一応白紙にかえすこと、時局収集を東久邇宮殿下にお願いすることを述べたとの記事があります。十四日の夜鈴木企画院総裁と陸相官邸において会見し、私がこの軍の依頼を同総裁にしたことは相違ありません。

【解説】
 今日は、ハワイの歴史を少し。

 アメリカは1872年にホノルル港を軍事目的で調査し、真珠湾軍事的価値の大きいことを知りました。そして真珠湾の割譲をハワイ政府に要求しました。でも、ハワイ島民の反対で交渉は失敗した。ところがアメリカはハワイに圧力を加え、1875年に結んだ米布互恵条約によって真珠湾の使用、改築、施設建設の権利を得ます。そして・・・、1898年にはアメリカはハワイを強奪してしまうのです。

 1881年、ハワイの国王カラカウワが世界歴訪の途上に日本に立ち寄りました。このとき、カラカウワ国王は、明治天皇に自分の姪と、山階宮定麿親王との結婚を願い出ました。日本と姻戚関係を結ぶことで、白人に対抗し、アメリカによるハワイ併合を阻止しようと考えました。

 明治天皇は慎重に考慮されましたが、日本にはまだアメリカと戦う力がなかったためお断りになるしかありませんでした。ハワイが日本の領土となっていたらどうなっていたんでしょうね。

 1893年、アメリカは軍艦ボストン号から150名の海兵隊を上陸させ、ハワイ政庁を奪取し王制を廃止しました。なんと、ハワイ王国には軍隊がなかったので、たった150名に征服させられてしまったのです。

 この時のハワイの王は、カラカウワ国王の妹 リリウオカラカニ女王です。あの「アロハ・オエ」を作曲したことでも知られています。彼女は、白人支配からハワイ人に政権を取り戻すべく、精力的に活動していきます。それに腹を立てた白人は、女王を幽閉してしまいました。

 1894年(日清戦争のときですね)、アメリカはハワイ共和国を建国しました。そして、1898年、マッキンリー大統領はハワイをアメリカに併合してしまいました。
 
 さて、ここから日本軍の話をします。リリウオカラニ女王が幽閉されたとき、邦人保護の目的でハワイに来ていた、大日本帝国海軍 軍艦「浪速」と「金剛」は、この力で相手をねじ伏せるアメリカのやり方に行動で抗議します。アメリカ軍艦「ボストン」を挟むようにして、投錨しました。ボストンは何もできませんでした。そのとき艦隊を指揮していたのが、東郷平八郎です。かっこいい。この行為で世界各国はアメリカの非道を認識しました。

 その一年後、共和国一周年記念で、多くの外国船が訪れました。ハワイ臨時政府は、国際儀礼として、礼砲21発を東郷に要求します。東郷は言下に断ります。ハワイの民衆は拍手をしました。

 まあ、このくやしさが、日露戦争後のアメリカの日本いじめとなり、それが引いては大東亜戦争につながったのです。
 
 セオドア・ルーズベルトは日露戦争のときに、日本とロシアの間を仲裁してくれた恩人のように日本の教科書には書かれていますが、これはうそです。
 
 国際的なアメリカの立場を確立するためと、にっくき日本人に少しでも賠償を取らせないようにするために仲裁役を買って出たのです。その後の、彼の日本人に対する差別を見るとそんなこと明白です。間違った歴史教育を受けるということは悲しいものです。

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このページは、宝徳 健が2011年2月22日 15:27に書いたブログ記事です。

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