誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から「東條内閣の組閣」です。ここも長い。七十八~九十までです。今日は七十九です。
 この東條英機宣誓供述書を読んでいると悲しくなりますね。日本は戦争なんてしなくてよかったんです。それが、アジア諸国を裏切った支那、共産主義になってしまったソ連(旧ロシア)、それを知らずに、有色人種の癖に優秀な日本を目の敵にしたアメリカ。何にも知らずに植民地から富を吸い上げていたおバカな英仏蘭、あわよくば尻馬に乗ろうとしたオーストラリアやカナダ。

 当時の世界情勢を知っていたら、日本が侵略戦争をしたなどとは絶対に言えません。だって、白人のみが人間として生きられた世界ですから。先日、朝日新聞が社説で、「日本は鯨問題に関して、自国の主張をするだけではなく、もう少しIWC加盟国の意見も聞いたらどうか」と書いていました。

 世界各国がなぜ日本の捕鯨に圧力をかけるか。それは、日本人がカラードのくせにホワイトよりも優秀で、なおかつ、自分達の植民地を解放して、自分達の富を奪ったからです。いいすぎだと思われるかもしれませんが、これが真実です。朝日新聞などはそんなことを知りもしません。悲しいですね。当時の日本が、世界を相手に侵略などできるはずもないし、考えるはずも無いことは、少し事実を学べば小学生でもわかることです

 では、抜粋します。解説もいつものとおり。
七十九
 参内したのは午後四時過と思いますが、参内するとすぐに拝謁をおおせつかり組閣の大命を拝したのであります。その際賜りました御言葉は、1941年(昭和十六年)十月十七日の木戸日記にある通りであります。
 私は暫時のご猶予を願い、午前を退下し宮中控室に居る間に続いて、及川海軍大臣が御召により参内し「陸軍と協力せよ」との御諚(ごじょう)を配した旨、海軍大臣と控室にて面会承知しました。間もなく木戸内大臣がその部屋に入って来てご沙汰を私と及川海相との双方に伝達されたのであります。その御沙汰は昭和十六年十月十七日木戸日記の通りであります。すなわち

「ただ今、陛下より陸海軍協力云々の御言葉がありましたことと拝察しますが、なお国策の大本を決定せらるるについては九月六日の御前会議決定に捉われることなく、内外の情勢を更に広く深く検討して慎重なる考究を加うるを要すとの思召しであります。命によりその旨申し上げておきます」というのであります。これが後にいう白紙還言の御諚であります。

【解説】
 天皇陛下とは・・・。政治的判断を一切下さない陛下が、ちゃんと海軍の優柔不断をご存知だったのですね。

 さて、昨日の続きです。

 支那事変当時、日本の非占領地である重慶政府支配地域では、豊作が続いたのにもかかわらず食料品の急騰が続きました。深刻な食料恐慌に陥っていたのです。なぜかわかりますか?地主・大商人・官僚・軍人などが、投機目的で食料品を買い占めた結果です。支那は、権力者や有力者が私欲に走り、民衆の生活や生命を犠牲にするしていたのです。まあ、これが支那の社会の特徴ですが。

  日本軍は、旧来からの支那の農村経済システムを打破しました。農村経済の近代化のために日本軍が指導したのが、合作運動でした。農業と産業組合を併せ持つ機能です。村落間での抗争の仲裁から教育・技術指導・文化活動までを行って、無秩序状態にあった農村を経済的に組織化したのです。どこの軍隊が他国でここまでやりますか?

 このような試みは、満州国は例外として、支那の歴史上類を見ないものでした。創意工夫の思考をもたない支那の伝統的為政者とは異なり、創意工夫だけで国家を支え、繁栄させてきた日本人は、支那を停滞から発展へと導いたのです。

 今の支那の政府はこれを死んでも認めません。でも、知っています。だから打ち消すために、ありもしない南京大虐殺などを大々的に宣伝して、日本を自虐感に落としいれ、日本人から真実を忘れさらせようとしています。

 ほんとかいな、って思う人は多いでしょうね。でも、これが真実です。日本は支那で侵略や虐殺などしていません。

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このページは、宝徳 健が2011年2月24日 23:29に書いたブログ記事です。

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