誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から「東條内閣の組閣」です。ここも長い。七十八~九十までです。今日から八十です。八十は長いので、数日に分けて書きます。歴史の裏話の続きも書きます。支那の話はまだまだあるのですが、今日は、朝鮮のことを書こうかな。
八十(つづき)
 したがって、田中証言は事実に反しております。私が皇族内閣を適当なりと考えたには次の理由によるのであります。

 新内閣は、組閣直後、九月六日の御前会議の決定を変更しなければならない立場にあります。新ないかくが前内閣の決定を覆すことはできますが、御前会議は閣議と異なり、内閣だけの決定でなく、政府と統帥部との協定を最高の形式においてなしたものであります。したがって、統帥部が九月六日の御前会議決定の変更に同意しない場合には非常に厄介な問題を惹起(じゃっき)するおそれがあったのであります。皇族内閣ならば皇族の特殊の御立場によるかかる厄介な問題をも克服して円滑に九月六日の御前会議の決定を変更し得ると考えたからであります。

 したがって、私自身が後継の内閣の総理大臣たるの大命を受けることないしは陸軍大臣として留任することは不適当なりと課が得たのであります。

【解説】
 前述のとおり、支那をいかに日本が救ったかはまた書きます。
 それと、今回の八十の内容はすごいですね。これは読まなければわかりません。日本の教科書では、陸軍が暴れまくって戦争に導いたとなっています。東條英機が悪者になっています。マスコミや日教組にだまされるとこうなるのですね。

 さて、先日、ある人から、「日本は朝鮮を植民地にしたときに、日本語強制してハングルをやめさせたではないか」というご意見をいただきました。笑いそうになりました。

 まず植民地にはしていません。日本の国にして莫大な投資をしました。朝鮮の生活環境を大幅に向上させて、人口も増やしました。

 それとハングルについてです。

 確かに漢文の素養は、たとえば江戸時代は日本人よりも朝鮮人の方が上だったようです。朝鮮の使節が来ると日本人が自分が作った漢文を見てもらったりしていました。ただ、支那の文明を直接的に強く受けた挑戦には、日本における和歌に相当するものが発達しませんでした。したがって、文化はすべて漢字に支配されてしまったのです。

 朝鮮独自の文学というものはありませんでした。朝鮮人の書いた漢文学がいくら優秀でも、その教養が肥料となる朝鮮文学そのものが生れませんでした。

 朝鮮人が自分たちの文字、つまり日本の仮名に相当するハングルを持ったのは十五世紀半ばです。日本では足利時代です。しかも日本の仮名のように自然発生的に生れたのではなく、国王世宗がつくって国民に与えたため、ほとんど浸透せず、朝鮮ではいったん忘れ去られました。

 明治時代になって、ハングルに注目した福沢諭吉がその普及に努め、日本が韓国を併合した後、日本の朝鮮総督府によって、朝鮮人に教育がなされました。それで初めて一般に広まったのです。

 日本語を強制したじゃないかですって? 日本語は非常にしなやかで、新しい表現ができるのを支那でさえ待っているのです。だから、朝鮮人が世界に羽ばたけるように教育をしようと思ったら、世界のどの文学も読むことができる、世界で唯一の言語である日本語を学ぶ必要があったのです。けっして、ハングルを取り上げたわけではありません。正しい事実を知りましょう。

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このページは、宝徳 健が2011年2月27日 22:03に書いたブログ記事です。

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