誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「東條内閣の組閣」です。ごめんなさい。七十八~九十までではなく、七十八~八十二までです。今日は八十一。もちろん歴史の裏話ありです。
八十一
 組閣についてはなかなか考えがまとまりません。この場合、神慮によるの他なしと考え、まず明治神宮に参拝し、次に統合神社に賽(さい)し、更に靖国神社の神霊に謁しました。その間に、自ら組閣の構想も浮かびました。

(一)大命を拝した以上は敢然視力を尽くして組閣を完成すること。
(二)組閣には遅滞を許さず。
(三)閣僚の選定は、海軍大臣は海軍に一任するがその他は人物本位にて簡抜けすること。すなわち当該行政に精通している人を持って行きたい。行政上の実際の経験と実力をもって内閣の決定を協力に施行していく堪能なる人をもって行く。政党または財閥の勢力を顧慮せずまたこれを忌避せずという態度で行きたいということでありました。

【解説】
 今日はひとつ、戦前の日本の制度の欠陥を述べましょう。

 ちょっと時は溯りますが、第二次近衛内閣に先立つ米内光政(よないみつまさ)内閣が総辞職したのは昭和十五年(1949年)七月です。米内首相は三国同盟に反対でした。米内首相は海軍出身です。海軍としては英米を敵に回すようなことはしたくなかったからです。ところがソ連を第一の仮想敵国とする陸軍は同盟賛成で、それなら米内内閣を潰してしまえという勢力が出てきました。当時の陸軍大臣は、本意ではなかったのですが、結果として陸軍の意を受けて辞任します。

 閣僚が辞任した場合、首相が後任を選べばいいことは今も戦前も変わりません。でも、ここに制度上のひどい欠陥があったのです。明日につづきます。

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このページは、宝徳 健が2011年3月 3日 23:49に書いたブログ記事です。

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