誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではな かったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から「十一月五日の御前会議及びその前後」です。今日はその中の八十四もちろん歴史の裏話ありです。
八十四
 ついでこの対米交渉要領により日本の今後における国策をいかに指導するかにつき更に審議を尽くし、最後に三つの案に到達したのであります。第一案は、新たに検討を加えて得たる対米交渉要領に基づき更に日米交渉を続行する。しかしてその決裂に終わりたる場合においても政府は隠忍自重するというのであります。
 第二案は交渉をここで打ち切り、ただちに開戦を決しようというのであります。
 第三案は対米交渉要領に基づき手交渉を続行す。そして外交による打開を十二月初頭に求めよう。交渉成立を見たるときは作戦準備を中止する。交渉が毛つれるしたるときはただしに開戦を決意す。開戦の決意はあらためてこれを決定するのであります。


【歴史の裏話】
 悪名高き陸海軍大臣現役武官制度について解説しています。

 この制度は明治以来のものでしたが、問題になったのは、大正元年(1912年)、第二次西園寺内閣のときです。このとき二個師団増設を認められなかった陸軍大臣の上原勇作は単独で辞表を提出し、陸軍が公認の大臣を推薦しなかったため、内閣が倒壊しました。これは国のあり方に大きな衝撃を与えました。陸軍中将が一人で倒閣できるという制度上の欠陥が天下に明らかになったのです。

 さすがにこれではまずいとなり、大正二年(1913年)六月十三日の勅命によって、陸海軍省官制を公布し、大臣・次官の任命資格から「現役」という制限を取り除きました。現役でなくてもいいとなれば、予備役の大将・中将はたくさんいますから、軍部の反対があっても、首相は組閣に困ることがありません。つまり直接軍部の意向に左右されることがなくなったということです。

 このことを可能にしたのが、第二次西園寺内閣の後を継いだ山本権兵衛内閣のでした。さすゴンベエ。日露戦争勝利の立役者です。

 ところが・・・・・・。昭和に入ってこれが復活してしまいます。なんと。誰がやってん、そんなこと。
つづく。

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このページは、宝徳 健が2011年3月 9日 09:17に書いたブログ記事です。

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