これまではどうだったのだろうか?

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 これまでの天災の際の対応はどうだったのでしょうか?少しだけ調べてみました。
 私がサラリーマン時代の出光興産㈱千葉支店にいるときのことです。伊豆大島の三原山が噴火しました。私の営業担当エリアは、千葉の安房エリア。君津・館山・安房郡・館山市・鴨川市などでした。館山の岬から、三原山の噴火が見えたのが思い出されます。特に夜になると赤々とした火が不気味にともっていました。

 昭和61年のことです。このとき、伊豆大島島民1万人にこの噴火で危機がせまりました。時の政府は、中曽根首相、後藤田官房長官、佐々内閣安全保障室長です。溶岩流から住民を守るために、島近くを航行中の船舶に急行するように要請しました。南極観測に向かっていた海上自衛隊の「しらせ」、東海汽船の未就航船まで駆けつけました。

 この経験が平成12年の三宅島全島避難に活きました。

 関東大震災(大正12年9月1日)のときは、加藤首相が亡くなって、政権空白のまま8日目に大地震が起きました。翌日になって山本首相が誕生し乗り切りました。

 さて、今回はどうでしょうか? 菅が平成7年の阪神・淡路大震災当時の石原官房副長官に「阪神のときの態勢」を聞いたのは、3月11日から2週間も経ってからでした。また、未だ国会に震災法案の一本も提出されていません。

菅よ、あんたがレベル7だ!

 みなさん、解散総選挙やりませんか? 

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このページは、宝徳 健が2011年4月16日 13:40に書いたブログ記事です。

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