瓦礫の向こう側に

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「ミスター・プレジデント。どうしますか?」

「あの極東の小さな国には、まだ利用価値がある。わが国のアジアにおける軍事プレゼンス、まだ余地がある市場開放、あの国が世界各国に持っている債権、ロシア・チャイナに対するプレゼンス、そして、同盟国へのいざとなったときのわが国の信頼感だ。GO!」

「ラジャー! 作戦名はどうしましょうか?」

「Operation TOMODACHI。すべてにおいて、わが国が有利に立てる名前だ」

「Yes,sir」

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「5時46分52秒、阪神地方で大規模な地震があった模様です」

 1995年1月17日の朝6時のNHKニュースでの速報であった。阪神・淡路大震災である。

 健は、ニュースを見ながら思った。

「関西で地震ってめずらしいな。まっ、たいしたことはないだろう。急がなきゃ。今日も、早めに行って、みんなが来るまでに、一仕事片付けておこう。行ってくるね。」

 まだ眠っている息子の顔をのぞきながら言った。

「行ってらっしゃい。地震が大きくなければいいけどね」
「まあ、大丈夫だろう」

 健は、オフィスに着いて仕事をしていたが、何か気になって、TVのある別室に行ってニュース速報を観ながら仕事をした。時々刻々と流れてくる速報で、今までに聞いたことのないような地震の大きさが伝わってきた。昼を過ぎると、死者・行方不明者が5000人を超えるという大惨事であることを知った。健は、関西にいる友人たちの安否を心から気遣った。

 TVからはこの世の終わりのような映像が映し出され続けていた。

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「これは千載一遇のチャンスだぞ」

 建設審議会の中畑は、震災直後にこうつぶやいた。

 そして、その年の十一月、日本政府は建設審議会に建築基準法の見直しを諮問した。

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 それから三年後の1998年6月、日本政府は、建築基準法を改正した。半世紀ぶりの大改正である。建物の安全性などを審査する基準が抜本的に見直された。

 誰しも、阪神・淡路大震災の被害による衝撃の大きさが、日本の建築基準を半世紀ぶりに変更する原動力になったのだと考えた。事実、マスメディアもそう報道した。

 しかし・・・(つづく)

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このページは、宝徳 健が2011年4月25日 22:41に書いたブログ記事です。

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