誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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  このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「十一月五日の御前会議」の章に入っています。

 日本はこの御前会議で、結局第三案、つまり、外交交渉を徹底的に屋ってだめだったらアメリカの戦争に入ろうという結論に達します。

 では、あまり知られていない事実を。日本が戦争に追い込まれた事実を。東京裁判でアングロサクソンが主張した日本の共同謀議をアングロサクソン自身がやっていたという事実をご披露しましょう。

 ABCD包囲陣は学校でも習いましたね。A:アメリカ、B:ブリテッシュ、C:チャイナ、D:ダッチ(オランダ)です。日本に対する軍事的、経済的圧迫です。

 最初は、アメリカグレーディ、イギリスのクーパー、蒋介石を援助したアメリカのマグルーダが重慶へ乗り込み、また、香港で会議を開いています。その後、イギリス極東軍司令官ポッパムとアメリカのマグルーダ、マッカーサーがマニラで協議しています。これからの太平洋を自分たちの都合の良いようにどうしようかというテーマで。まさにこれが、共同謀議です。

 ビルマルートとで蒋介石を援助するため、重慶軍とイギリス軍との共同作戦についても話し合われています。日本はなんとか支那事変を終わらせたかったのですが、アメリカはなんとか、支那事変を泥沼化させたかったのです。ソ連はまだ、このとき表に出ていませんが、日本を何とか支那大陸から引き剥がし、アメリカと太平洋で戦争をさせようと目論んでいました。そうすると、最強の日本軍、関東軍の精鋭が太平洋に行って、ソ連自身は日本の領土を切り取れるからです。そのために、ソ連は、アメリカ政府中枢にスパイを送り込みまくります。

 余談になりますが、ソ連は日本に一度も戦争で勝ったことがありません。日露戦争で負けて、ノモンハンで叩きのめされ、戦後、奪取しようとした千島列島では、占守島の日本軍に蹴散らされました。そこで、「おい、日本、負けたのに何をやっているんだ」と世界に訴えて、日本が武装解除した後に、北方四島を占領しました。そして、今まで勝っていない腹いせに、千島や満州の日本軍人60万人をシベリアに引っ張っていって6万人を殺しました。そして、民主党政権は、彼らが言う、北方四島の占領後の戦勝記念日を、岡田(元外務大臣)と武正(元外務副大臣)が認めてしまったのです。アホですね。

 話を戻します。

 レートンという英東亜艦隊司令官は、シンガポールの軍港をアメリカの要求があり次第、アメリカ軍にも利用させると発表し、ポッパムは豪州に向かいます。豪州の首相カーチンは、太平洋共同戦線交渉がアメリカ、イギリス、オランダ、ニュージーランド、オーストラリアに完成したと発表しました。共同謀議です。

 こうやって日本戦争に追い込まれていきます。さて、これが日本の侵略戦争ですか? 私は、声を大きくして聞きたい。 いったい、どの事実をどう学んだら、あの戦争が侵略戦争と信じられるのですか? 不埒な日教組により、「あれは侵略戦争だった」と教えられたからですか? 朝日新聞、毎日新聞をはじめとする赤い新聞騙されたからですか?

 「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です。少しだけまともなことを学んだら、侵略戦争などと言えるはずがありません。

 「美味しんぼう」という漫画がありますね。最初は結構好きだったのですが、あの作者も、不埒な日教組による戦後教育の失敗作です。作品の中では、日本がオーストラリアを一方的に戦争に引っ張り込んだとか、朝鮮には悪いことしかしていないように書かれています。あれを読んだ、不勉強な読者が、それを信じないことを願います。

 大江健三郎もそうですね。「はだしのげん」を書いた作者もです。失敗作です。侵略戦争自虐観に支配されています。原爆を落したのはアメリカです。日本の責任ではありません。沖縄をぐちゃぐちゃにしたのはアメリカです。日本の責任ではありません。

 さて、この御前会議の後で、日本は戦争を回避するためにさらならる外交交渉をアメリカと続けます。東條英機宣誓供述書は東京裁判で証拠として採用されませんでした。そればかりか、マッカーサーが発禁処分にしました。そうでしょうね。彼らに正義はありませんから。あるのは自分たちの都合だけです。 (つづく)

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このページは、宝徳 健が2011年5月 2日 06:44に書いたブログ記事です。

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