誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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  このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「東條内閣の日米交渉」の続きを解説します。

 1941年(昭和十六年)十一月十七日、首相である東條英機は、国会において、施政方針演説をしました。日米交渉は開始以来すでに半年が経っていました。日米両国の主張は明瞭で、問題は、太平洋の平和のためにどれだけお互いが譲り合えるかということに絞られていました。

 日本政府の立場は、三つあります。

 一番目が、第三国、つまりアメリカが支那事変を邪魔しないで欲しいということです。アメリカが邪魔しなければ支那事変はすぐに終わっていました。でも、日本を戦争に引きずり込みたいアメリカは、蒋介石への支援をやめません。

 次に、日本に対する軍事的・経済的圧迫を解いてほしい、というものです。特にABCD包囲陣の経済圧迫はたまりませんでした。軍事的には、アメリカが、現代の支那の勢いで、海軍を増強していました。それに、豪州、ニュージーランド、オランダ、イギリスが加わってきます。これをやめてくれ、というものです。「おいしんぼ」という漫画があります。あの作者は、戦後教育の失敗作そのものです。あの漫画のシーンで、日本がオーストラリアを攻めたとなっています。ばかばかしい。騙されないようにしましょう。

 三番目が、欧州戦争の拡大が日本に及ばないようにということです。ソ連に対する牽制ですね。

 支那事変なんて、蒋介石と汪兆銘が合意すればすぐに終わったはずなんです。それ以前に、日本は、支那にどんどん援助しました。それは、日本と支那が組めば、欧米に対抗できると思ったからです。学校まで作りました。農業技術も教えました。なのに、最初は、同調していた蒋介石が裏切りました。

 かつて産経新聞に蒋介石日記がシリーズで掲載されました。うそ八百の内容です。産経新聞でさえこれなのですから、日本のメディアはどうしようもないですね。

 蒋介石と汪兆銘が同調して、支那に政府を開く(信じられないでしょうけれど、当時の支那には、正式な政府はありませんでした)。そして、日本と条約を締結し、日本軍は引き揚げる。こんな簡単なことが、蒋介石の裏切りと、アメリカの蒋介石援助によってなされませんでした。どこが日本の侵略戦争でしょうか。

 それと、満州問題。これは、満州は独立国ですから、他の国がガタガタいう必要はありません。蒋介石も満州を独立国として扱い、条約まで結んでいますから、論点にはなりません。

 さて、この東條首相の演説と、それに続く東郷外相の演説は、世界に向かって放送されました。アメリカの新聞もこれを掲載しました。アメリカ議会も支持をしました。さあ、ルーズベルトはどうしたでしょうか? 次回解説します。

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このページは、宝徳 健が2011年6月 4日 09:33に書いたブログ記事です。

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