未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その5)

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 日本の南京統治の話が始まります。

ま「おばあちゃん、ごちそうさま。おばちゃんが作る ちらし寿司はいつもおいしいなあ」
お「そうかい? そう言ってもらえるとうれしいね。デザートに寒天もあるよ」
ま「これこれ、これもおいしいんだよね~。こんなのお店じゃ食べられない」
お「誰かがいてくれて一緒にご飯が食べられるっていいものね」

ま「じゃあ、話を始めようか。日本軍の南京統治だね」
お「そう。まず、松井大将は、南京防衛軍に対して、空から降伏勧告文をまいたのさ。日本軍は南京城を既に包囲していたからね。ここで降伏をしたら攻撃はしないって」
ま「だね。でも、支那軍は降伏しなかった。そして、昭和12年12月10日 日本軍は南京城へ総攻撃を開始したんだ。まさる、そのとき松井大将が特に気を遣ったのが、「安全区」なんだよ」

ま「安全区って?」
お「南京の一般市民の避難場所として区切られた、非武装中立地帯さ。松井大将は、そこへの攻撃をしないように命令したかったんだけど、結局、安全区を非武装とも中立とも認めなかったんだ」
ま「ああ、それが安全区か、名前だけわからなかった。でも、なぜ?」

お「まずは、柵とか塀とかがなく、境界線を外国人と支那人が引いていなかったんだ。でもね、認めはしなかったんだけど、日本軍は、銃弾の一発も撃たなかったんだ。更に日本兵の出入りも厳しく禁止したのよ。日本軍のこの戦い方は、感動を呼び、安全区を作った外国人集団の代表から、感謝状まで贈られたんだよ。」

ま「あっ、さっき、おじいちゃんの書斎でよんだ。こういうものだね」

「拝啓 私どもは、貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して感謝の意を表するものであります ジョン・ラーベ」

お「そうよ、日本軍のおかげで安全国秩序が守られたの。でも、・・・」
ま「おばあちゃん、その続きは僕に話をさせて。さっき、おじいちゃんの書斎で調べたから。便衣兵でしょ?」
お「そう」

ま「その安全区に、南京防衛軍が便衣兵として紛れ込んだんだ。だから、日本軍は安全区を非武装中立地帯と認めなかったんだ。」
お「そうよ」
ま「便衣兵というのは、軍服を脱いで一般人になりすまし、隠し持っている武器で敵を倒すという、いわゆるゲリラで、すごく卑怯なやり方なんだ。正々堂々と戦わない卑怯者だから、国際法でも、見つけたら即殺してもOKということになっているよ」

お「よく、調べたね。それも数千人規模で便衣兵がいたからね。日本軍が南京を占領したとき、辺り一面に軍服とかヘルメットが脱ぎ捨ててあったんだ。その山を見て日本軍はピンと来たんだ。あいつら便衣兵になったなって」

ま「日本軍は支那人の立会いの下、安全区内の便衣兵の摘出をしたんだけど、そしたらいるわいるわ、約2千人の便衣兵が見つかったんだ」
お「でも、日本軍はすばらしかったんでしょ?」

ま「そう、普通なら捕虜として扱わないで、すぐに殺してもいい便衣兵を、日本は、なんと捕虜として扱ったんだ。こんな事実、世界中探してもないよ。どこが大虐殺だい」
お「外国人集団の中に、日本が大嫌いなマギー牧師という人がいてね、その人でさえ『安全区は難民たちの天国である』って言ってるんだよ」

ま「うん、彼らは『安全区内には火災もなく、平穏だった』とか『日本兵は南京市民に対して礼儀正しくて立派だった』とも言ってるよ」
お「そうだね」

ま「この前、お母さんに、この話をしたら『じゃあ、南京大虐殺なんてなかったの?』だって」
お「お母さんだけじゃないよ、正しい歴史を知ろうと国民が努力をしなかったから、日本の国がつぶれたのさ。それに市民運動家の菅を首相にしたり、とか暴力革命の核マルの枝野を官房長官にしたりしたからね。おばあちゃん、鳩山が史上最悪の首相だと思っていたけど、鳩山は下から二番目だったわ」

ま「その前の自民党政権もいけないよね。政権を維持するために保身に走っていたから」
お「そうね。さあさあ、まさる、今日は、16時から予定があるのでしょ? 早く行かないと間に合わないよ」
ま「そうだ! おばあちゃん、また来るね。ありがとう」
お「ちょっとお待ち、水羊羹もってお帰り。日本橋屋というところのだよ。おいしいよ」
ま「わーい、ありがとう。おばあちゃん、すごく楽しかった。またね」
お「おばあちゃんもよ。もっと長生きしないとね」

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このページは、宝徳 健が2011年7月19日 05:37に書いたブログ記事です。

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